4.1期の文献       「明日のために」




はじめに

 

 

 私達向後ゼミナール4期生は、4月からメディアリテラシーを学習してきました。

 メディアリテラシーは理論と実践の両面からアプローチできます。この冊子はメディアリテラシーの歴史や理論、それにメディアが関わりを持っている具体的な事象について、私達の考えをまとめたものです。理論については、カナダ・オンタリオ州教育省が行ったメディアリテラシーに関する8つの定義を拠り所に、私達なりに理論的枠組みを作りました。そして、その枠組みを手がかりに、メディアの所有権問題、戦争報道、国内外のメディアリテラシー教育の現状など、具体的な事象を取り上げて記述しました。

実践の面では、日本大学芸術学部の学生の協力を得て、彼らの映像制作に密着し、映像を作る側の姿を撮影しました。制作者を追うことによって「映像とは何か」また「映像メディアの役割とは何か」について考えました。また私達自身が映像を制作することにより、「送り手側の意図」を肌で感じることができました。

メディアから送り出される情報が氾濫している状況の中で、私達には、情報を選別した上で賢明に利用する能力が求められています。それには、まず、メディアが持っている多面的な性格を理解しておく必要があります。

メディアリテラシーは、理論と実践の両面からアプローチしなければならない。私達は常にそれを念頭において勉強し、この冊子と映像作品を作りました。メディアリテラシーの歴史や理論を文章にまとめてみると同時に、映像制作のプロセスを通して、メディアリテラシーとは何かを考える。この二つはメディアリテラシーを勉強する上で、「車の両輪」ではないかと思います。メディアリテラシーに取り組んで、まだ半年しかなりませんが、私達は互いに「伝える」ことの難しさ、「伝わり方の」違いに気付きました。

この冊子には、現時点での私達の学習の成果が詰め込まれています。未熟な内容ですが、皆さんからのご意見、ご批判をいただければ幸甚です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向後ゼミナール 第4期生  

目次

はじめに

 

第1章        メディアリテラシーの基本

8つの定義                        3         

メディア所有権問題                     4         

 

第2章        戦争報道−メディアリテラシーの具体例−

 戦争報道とは                       6          

 ベトナム戦争                       7         

 湾岸戦争                         9          

 イラク戦争                        12         

 戦争報道とメディアリテラシー               15         

 

第3章        メディアリテラシーの歴史                  17    
                    

第4章        メディアリテラシーの教育と現状                      19

イギリス                         21         

カナダ                          24         

アメリカ                         25                                                            

日本                           26                                                                        

メディアリテラシーのこれから               29                                             

第5章        メディアリテラシー関連市民活動                  30 
 
 

参考文献                                            33

                                                                      

おわりに                               35

 

 

                                                                   

 

 

1章 メディアリテラシーの基本

 私達はメディアの受け手である。現代では、常にメディアに囲まれており、それを当たり前だと思っている。私達は、「メディアが送る情報は現実を再構成して作られたもの」であることを知らなければならない。メディアからの情報を分析し、その上で受け入れることが必要である。これがメディアリテラシーである。

 

8つの定義

 1992年にカナダのオンタリオ州教育省はメディア研究の基礎となる8つの定義を発表した。これはメディアリテラシーの基礎ともなるだろう。

 

1:すべてのメディアは構成されたものである

 メディアは現実をただ単に映し出しているのではない。メディア生産物は、いかにも自然らしく見えているが、実際は、メディアの送り手が特別な目的を持って作り出したものである。

 

2:メディアは現実を作り出している

 私達は、社会に対する見方、考え方を持っている。それは、私達が見たもの、体験したことが基となっている。ところが、それら私達の経験の多くは、メディアを通して得たものである。そして、そこには、メディアのものの見方、解釈、結論が組み込まれている。したがって、現実を構成しているのは、私達自身というよりメディアということになる。

 

3:受け手はメディアから意味を見出す

 私達とメディア生産物の間には相互作用の関係がある。メディア生産物を一方的に受け取るだけでなく、こちらからも働きかけることが必要である。その際、受け手である私達は、それぞれの個人的要因に基づいて、メディア生産物の意味を見出そうとする。個人的要因とは、個人個人のニーズや不安、日々の喜びや苦しみ、人種や性に対する考え方、家庭や文化的な背景である。

 

4:メディアは商業的側面を持っている

 現実的に、マスメディアはビジネスであり、利益を上げなければならない。メディアリテラシーを学ぶ上で、マスメディアの経済的基盤を知らなければならない。最近、メディア企業が少数の者によって支配される傾向が強い。その結果、メディア企業の統合が増え、メディア生産物も少数の者によって支配される恐れが指摘されている。

 

 

5:メディアには送り手の考え方、価値観を持ったメッセージが含まれている

 メディア生産物はある意味で、宣伝的な機能を持っている。メディア生産物のほとんどは既存の社会システムを肯定している。メディアは、良い生活とは何か、消費主義の美徳、女性の役割、権威の容認、疑いのない愛国心などについての考え方や価値観を、明示的に、   暗示的に伝える。

 

6:メディアは社会的、政治的意味を持つ

 メディアリテラシーを学ぶことによって、メディアが広い範囲の社会的、政治的効果を持っていることを理解することができる。メディアには、受け手の価値観や態度を作り出すことはできないけれども、それを強化することはできる。そして、メディアは今、政治の世界、社会的変化に密接に関わっている。例えば、テレビが作るイメージによって、国のリーダーが決まることがある。また、私達は、メディアを通して、公民権運動、アフリカの飢饉、国際的なテロリズムなど世界中の問題に接している。

 

7:メディアは、形式と内容が密接に関係している

 マーシャル・マクルーハンによれば、「メディアはそれぞれ独自の技術があり、独特な方法で現実を構成する」。つまり、メディアは同じ出来事を伝えるが、メディアによって違った印象、違ったメッセージを作り出す。

 

8:メディアは独特な美形式を持っている

 メディアは情報を送るだけでなく、美形式を持っている。私達はスピーチや詩歌の心地よいリズム、また、優れた小説に見られる文学的な技巧を楽しんでいる。それと同じように、私達はメディアの審美性を理解したとき、メディアを楽しむことができる。

 

【メディア所有権問題】

 8つの定義の「4:メディアは商業的側面を持っている」に関連した出来事がアメリカであった。2003年6月2日FCC(米連邦通信委員会)は、メディア所有規制の緩和案を採択した。緩和によって大きな変更があったのは以下の3点。

(1)テレビ局所有規則

  A:1社が所有できるテレビ局の到達範囲を、全米テレビ視聴世帯の35%から45%に引き

    上げる。

  B:1社が1市場で所有できるテレビ局は最大2局までだったが、市場規模に応じて最大

    3局まで所有できるようにする。

 

(2)ラジオ局とテレビ局の相互所有規則

条件つきで、1社がラジオ局とテレビ局を所有することを認める。

(3)新聞とテレビ局の相互所有規則

    条件つきで、日刊紙と放送局を所有することを認める。

 

所有規則は元来、「放送の多様性」、「放送事業の競争」、「地方性」の保護のために作られた。しかし、多チャンネル化が進む中で、規則がメディアの現状に対応していないという訴えにより議論が始まった。これらの訴えを起こしたのは、フォックス、バイアコムなど放送局を所有している大手マスメディアであった。その背景には、これら大手マスメディアが、上記の(1)で示した放送到達範囲がすでに40%に達しているためであった。規制緩和が採択されたことによって、大手マスメディアが資本力を武器に地方局を買収する可能性がある。この規制緩和には危険な面が潜んでいる。なぜなら、大手マスメディアを中心にマスメディア統合が進むと、少数の者がメディアを支配することになり、言論の多様性が失われるからである。

 この規制緩和に対して、米上院商務委員会は6月9日に、FCCの新規則を覆す法案を採択した。法案は今後、上院、下院で可決されなければならない。こうした中、FCCは新しい緩和案を貫く姿勢を示している。

 しかし、規制緩和案に対して、FCCにとって不利な状況が続いている。7月23日、米下院議会は、緩和実施阻止の法案を400対21の大差で可決した。9月16日には、上院議会においても緩和実施阻止を目指す法案が可決された。上下両院で阻止法案が可決された場合、ブッシュ大統領は拒否権を発動させる構えである。一方、フィラデルフィアの控訴裁判所は、9月3日、FCCに対し、FCC規則案実施を差し止める命令を下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

2章 戦争報道メディアリテラシーの具体例−

 「戦争が起こると、最初の犠牲者は真実である」という言葉がある。特に近代戦争は「情報戦争」と呼ばれるほど、戦争遂行には情報管理が重要になる。ここからは、ベトナム、湾岸、イラク戦争を振り返り、戦争報道がどのような歴史を辿りなされてきたのかを考えたい。これはメディアリテラシーを考える具体的な事例となる。

 

【取材制度】

 事件、事故を取材する際、特別な事情により、決まった方法を用いて取材しなければいけないことがある。特に戦争時には、危険性や情報の流出防止のために、取材制度が定められることが多い。しかし、これは、「取材を規制、制限する」、「戦争の実態を報道されたくない」といった、戦争遂行者の思惑が含まれていることもある。

 

【ジャーナリスト】

 戦争時、ジャーナリストは現地に赴き取材することもある。戦場の生の状況を伝える。「戦争がジャーナリストを鍛える」というようなことも言われる。戦場での取材は危険が伴う。自分の身を投じてまで、伝えようとするのが、戦場のジャーナリストである。

 

【情報操作】

情報操作とは、情報の発信者が都合の良いように情報を作為的に操作する行為である。情報操作は、特に戦争時に行われる。戦争を遂行する政府が、国内、国外世論の支持を得られるかどうかは、戦争の実態をどのように報道するかによって、大きく影響される。世論の支持を失い、反戦運動が高まれば、政府は戦争を長く続けることができなくなる。そのため、政府は情報操作に力を尽くすのである。情報操作の具体的行為として、以下のように分けることができる。

(1)情報の独占、断絶  

特定の個人、集団が利益を得るために、ある種の情報を自分達だけが持ち、関係者以外には流さない行為。

(2)情報のねつ造  

特定の発信者が特別な意図により、虚偽の情報を作成したり、未確認情報を流すことで、個人や団体の利益を得ようとする行為。

(3)情報の改ざん 

既にあるデータや情報を特別な意図により、作為的に作り替え、意図的にその情報を利用する行為。

(4)情報の破壊  

   「もの」としての情報、すなわちハードウェアやソフトウェアを、作為的に、外的
   な力によって、破壊する行為。これには、データや情報の抹消だけでなく、それら
   を転送する物理的媒体を破壊することも含む

 

 

1 べトナム戦争

 

 ベトナム戦争は、1960年代初頭から1975年半ばまで行われた。南ベトナムと北ベトナムの武力衝突である。そして、南ベトナム軍にはアメリカ、北ベトナム軍にはソ連と中国が、軍事援助及び政治介入をした。

 

【取材制度】

 戦争報道の歴史から考えると、ベトナム戦争は特異な存在である。大きな特徴が二つ挙げられる。

 まず、ベトナム戦争の取材は基本的に自由であった。アメリカは報道管制を敷くことができなかった。なぜなら、この戦争を宣戦布告なしに展開し、加えて、建前としてはサイゴン政権1)の要請に基づいて軍を出兵させたことになっていたためである。さらに、アメリカはこの戦争を「正義の戦争」として始めたため、ジャーナリストが米軍に有利なことを報道するだろうという思惑があった。取材は、米軍か南ベトナム政府軍に従軍するのが普通であった。従軍する際、米軍はジャーナリストに兵員、負傷兵に次ぐ優先順位を与えて

いた。基本的には、自由に動き回ることができ、個人の責任で戦場に入り、報道することができた。報道写真家、今城力夫は「報道写真家にとってはありがたい戦争だった。自由に取材、発表ができたのは後にも先にもベトナムだけだ」と語った。このような取材環境により、ジャーナリストは前線で活躍した。

 もう一つのメディア的な特徴は、アメリカ社会でテレビが主要なメディアとなって初めての戦争だということである。アメリカ国民は、それほどの時間差なく、戦場の生々しい映像を見ることになった。それゆえに、ベトナム戦争は「テレビジョン戦争」と呼ばれる。テレビは視覚的なメディアである。そのため、戦場の壮絶さを視聴者の感覚に訴える。その反面、戦争の背景や性格などを伝えるには不向きである。

 これら二つの要因を主として、アメリカ国内では徐々に反戦ムードが高まった。戦争開始時には、アメリカ国民は「正義の戦争」と思っていた。ジャーナリストも同じように考えていた。後に戦争批判の先頭にたつジャーナリスト、ディビット・ハルバースタムもそうであった。彼も当初、この戦争は自由を守るための戦争だと考えていた。しかし、従軍

 

取材によって考え方を180度変えていく。同じように、アメリカ国民も一つの出来事をきっ
かけに反戦ムードを高めていく。
テト攻勢2)の報道である。それまでの山岳地帯でのゲリ
ラ戦はテレビカメラが十分に追うことができなかった。しかし、テト攻勢によって、戦闘
が都市部に及ぶとテレビカメラがその姿を映し出した。戦闘自体はアメリカにとって悲観
的なものではなかったが、その悲惨さを目の当たりにしたアメリカ国内に反戦の声が溢れ
るようになった。この傾向は数字にはっきりと表れている。テト攻勢を境に、アメリカの
勝利と伝えたものは、62%から44%に減少した。逆に敵の勝利と伝えたものは、28%から
32%に上昇した。また、戦争が行き詰まりであると報道されたものもあった。マスメディア
は米政府から非難を浴びた。ハルバースタムは大統領から帰国を命ぜられるほどであった
。戦争終結後、敗戦の原因として、マスメディアの報道が挙げられた。

 一方、日本政府(自民党)は、アメリカとの関係を考慮し、ベトナム戦争に関する国内
報道に対してクレームをつけた。それは放送法によって政府の監督下にあるテレビ局に対
するものがほとんどだった。

 以上のように、ベトナム戦争の報道は、基本的には規制なく、自由なものであった。そ
のため、戦場の悲惨さが映し出され、戦争を進める政府には不都合であった。ベトナム戦
争を教訓に、以降米政府は、戦争時に厳しい規制をしくことになる。

 

【ジャーナリスト】

 米軍をベトナム撤退へ追いこんだ一つの要因に、ジャーナリストの活躍が挙げられる。
報道は戦場の悲惨さを世界中に伝えた。戦場の取材には、ジャーナリストの存在が欠かせ
ないものであった。

 ロバート・キャパ、ディビット・ハルバースタムなど、多くのジャーナリストが戦場の姿
を伝えた。日本人ジャーナリストも活躍した。『安全への逃避』でピュリッツアー賞を受
賞した澤田教一を始め、岡村昭彦、一之瀬泰造といった報道写真家が写真で伝えた。本多
勝一、大森実など新聞社所属のジャーナリストは、ルポルタージュによって報道した。ま
た、開高健は作家の視点から文学作品で表した。

 当時、ベトナムには、新聞社やテレビ局の他、AP3)UP I4)を中心とした通信社がジャ
ーナリストを常駐させていた。ベトナム戦争では、こうしたジャーナリストの他に、大手
の新聞社や放送局に所属せず、主に通信社と契約し、従軍記者として戦場を取材し、記事
や写真を有料で提供する、いわゆるフリージャーナリストもいた。ジャーナリストは、従
軍取材の際、「戦闘または事故によって、死亡・負傷した場合、これによって生じる一切
の損害の保証を請求しません」といった内容の証明書にサインすることが義務付けられて
いた。

 ここでは岡村昭彦を取り上げて、ジャーナリストの役割について考えてみたい。彼は33

1 南ベトナム側の政権。米軍に掌握されていた。
2 1968131日、北ベトナム軍は、サイゴンを始めとした都市部に一斉攻撃をかけた。
3 Associated Press  アメリカ二大通信社の一つ。
4 United Press International  アメリカ二大通信社の一つ。 

歳でカメラを初めて手にしたという特異な経歴の持ち主である。「常に戦争を両側から見
ること」をモットーにしていた彼は、米軍や南ベトナム軍に従軍して取材する記者が多い
中で、それに飽き足らず、ベトナム解放戦線
5)が支配する危険な地域まで潜入している。
そして、彼はベトナム解放戦線
2の中央委員会副議長フエン・タン・ファットとの会談を実
現させる。それまでの道もとても苦難に満ちたものであった。危険地域に潜入中、捕虜と
なり、一時は生死をさまよう。そして、粘り強い交渉の末、会談が実現した。このような
常に偏りない取材をしようとするのが、ジャーナリストの真の姿である。そして、岡村昭
彦は世界が認める報道写真家となった。    
 

 

【情報操作】 

 ベトナム戦争では、検閲などの規制はなく、比較的自由に戦争の実態を報道することが
できた。しかし、そのような状況の中でも、米政府は大掛りではないが、情報操作を行っ
た。

 

<ペンタゴン・ペーパー> 

 ベトナム戦争が始まり、次第に戦争が泥沼化していく中で、米政府は、早い段階で敗戦
を予測していた。しかし、米政府は、この戦争は「正義の戦争」であると国民に嘘をつき
、不利な情報は流さなかったのである。後にこのことは、政権の中枢にあって、戦争を遂
行する立場にいた、米国防長官ロバート・マクナマラの要請によって作成された「ペンタ
ゴン・ペーパー」によって明らかになった。これは、アメリカがどのようにして戦争に巻
き込まれ、どこで誤りを犯したのかを記した、ベトナム戦争についての報告書である。過
去の失敗に学び、同じ過ちを繰り返さないために書かれたものであった。

 

 

2 湾岸戦争

 

  19908月のイラクのクウェート侵攻に端を発し、翌年1月から約40日間、イラク軍と米
軍中心の多国籍軍との間で行われた戦争である。
1991117日、多国籍軍がイラクに空爆
を開始し、湾岸戦争が始まった。

 

【取材制度】

 湾岸戦争は、史上初めて戦地の映像が生中継された戦争である。しかし、その映像は、
記者たちが厳しい報道規制の中で取材し、映し出されたものであった。その際の取材制度
を「プール取材」という。



5 北ベトナム側の軍。ベトコンとも呼ばれる。

プール取材とは、日本語に訳せば「代表取材」のことである。米軍の許可を受けたアメリ
カ側参戦国のジャーナリストの少数が選ばれ、戦場を含め許された範囲内での取材を行い
、映像、情報を他のメディアと共通利用した。当時、現地には各国から約
1400人の記者が
集まったが、その中で選ばれたのは約
200人だけであった。残りは、司令部の記者会見を聞
き、代表取材による報告を読んで、記事を書いた。プール取材を採用することにより、軍
と政府次第で報道できる内容が容易に限定でき、都合の良い映像のみを配信できた。

 さらに、米政府は厳しい検閲も加えた。報道内容が作戦に悪影響を及ぼさないかを事前
にチェックする安全確認検査(セキュリティリビュー)が行われた。

 

【ジャーナリスト】  

 湾岸戦争の頃には、メディアが急速にデジタル化し、衛星放送技術が発達した。そのた
め、戦場の映像をリアルタイムで見ることができるようになった。しかし、映像は軍や特
定の大手マスメディアからのものが多かった。また、米軍の報道規制により、従軍取材な
ど、戦場での生の映像をジャーナリストが自ら撮ることは困難な状況にあった。このよう
な取材環境の中で、ジャーナリストが現地にいても、ベトナム戦争時のジャーナリストの
ような活躍の場は少なくなった。

 そして、各マスメディアは、少ない情報源から戦争を伝えた。しかし、伝えたものは戦
争のほんの一部分に過ぎず、米軍にとって、不利な情報は極力抑える傾向にあった。

 

【情報操作】

米政府と軍は、ベトナム戦争での自由な報道体制が、反戦世論を作り出し、戦争継続を困
難にしたのを教訓に、
1980年代に対メディア戦略を徹底的に研究した。そして湾岸戦争を
都合良く遂行するために、大掛りな情報操作をし、成功させたのである。

 

<ブリーフィングによる情報提供>

 ブリーフィング(記者発表)という形で情報提供が行われ、テレビはそれを同時中継し
ていた。しかし、それは米軍の報道官によるものであり、米政府と軍にとって都合の良い
ものがほとんどであった。

 

<悪と正義>

 人々の多くが、サダム・フセイン=「悪」というイメージを持っている。これもアメリカの情報操作
の一つだといえる。アメリカは、この戦争を正当化するために、アメリカ=「正義」であり、イラク=
「悪」であるというイメージを、人々に植え付ける必要性があった。アメリカは、実際は中東の軍事弱
小国の一つでしかなかったイラクを、あたかも、アメリカと肩を並べるほどの軍事力を持った、凶悪な
国のように見せかけた。そして、「悪」を倒すというアメリカの正当性をアピールすることによって、
この戦争を遂行することが

できたのである。

 

<ナイラの証言>

 開戦の直前に、クウェートから脱出してきた少女ナイラの証言がテレビで放送された。
彼女は、クウェートに侵入してきたイラク兵達が、クウェート市内の病院で、赤ん坊を保
育器から取り出し、死亡させる現場を見たと証言した。これは、アメリカ国内に大きな衝
撃を与えた。放送後、米議会では
5票差の投票で戦争開始が採択された。その内、6人以上
が、彼女の証言に影響され、開戦に投票したと後に証言している。彼女の証言が、軍事介
入に消極的だったアメリカ世論を一気に戦争へと突き動かしたのである。 しかし、後に
CBS6)などの調査により、この少女はクウェート駐在のアメリカ大使の娘で、当時、クウ
ェートにはいなかったことが暴露された。また、アメリカの大手
PR会社ヒル&ノートンが
、クウェート側から、アメリカ世論をクウェート側に同情的にし、イラクに対して、敵対
心を抱かせるよう依頼されこともわかった。それだけではなく、この会社は、米政府から
、戦争を正当化するために、世論を誘導するよう指示されていたのである。

 

<海鳥報道>

 ペルシャ湾で、原油で真っ黒になった海鳥が発見された。アメリカはこれを、「イラク
がクウェートの石油施設やタンカーを破壊したことにより、原油が流出し、海鳥が真っ黒
になったのだ」とし、「イラクは環境破壊者である」と報じた。しかし、ロイター通信な
どが流した海鳥の映像と写真は、戦場とは無関係な場所で撮影されたことが判明した。ま
た、戦争中、クウェートやイラク南部の石油施設から原油が流出していたのは、大部分は
米軍の爆撃によるものだったことが明らかになった。

 

<ハイテク兵器>

 ハイテク兵器の性能は精密であり、相手の軍事施設だけを正確に破壊し、一般市民には
被害を及ぼさないものである。ホワイトハウスや国防総省の記者会見では、衛星写真や映
像をしきりに使い、その安全性を強調した。しかし、実際にハイテク兵器が使用されたの
は、わずかであり、ほとんどは従来と同じ兵器だったのである。米政府は、ハイテク兵器
だけを使用しているかにように見せかけ、正確な攻撃の映像を繰り返し放送し、人々に「
クリーンな戦争」を印象付けた。

 

CNN効果>

 アメリカのCNN7)は、イラク政府に対し、開戦後CNNをバグダッドに留まらせることで、世界に戦
時下のイラク国民の窮状を伝えることができると説得した。これにより、イ


6 Columbia Broadcasting System   アメリカの四大テレビ・ネットワーク(ABCCBSNBCFox)の一つ。
7 Cable News Network  1980年に、世界初の24時間ニュースメディアとしてアメリカに誕生した。

ラク側はCNNに、バグダッドでの通信機器の設置と、戦争取材を許可した。つまり、CNN
はこの戦争で、アメリカにとって敵国であるイラクに留まった唯一のマスメディアとして
、イラク国内の模様を世界に報道することになった。

 CNNは、「戦争の24時間生放送」を行った。それにより、「CNN効果」という影響が出
た。これは、悲惨な戦争の映像を、視聴者が直に、そして繰り返し見ることで、映像に飽
き、戦争自体への関心が薄れてしまうということである。また、テレビゲームのような戦
争の映像は、視聴者の戦争に対する現実感を失わせ、戦争の重大性を認識できなくさせた
。多くの情報が
CNNからもたらされることで、それが不確かな、あるいは間違った情報だ
ったとしても、視聴者はそれを真実だと認識してしまうこともあった。

 

 

3         イラク戦争

 

 イラクの大量破壊兵器開発問題が引き金となり、イラク戦争は勃発した。2003317
日、アメリカのブッシュ大統領はイラクのフセイン大統領
(当時)に対して、亡命を求めるよ
う最後通告を行い、
20日に米英軍がイラク全土に空爆を開始し、イラク戦争が始まった。

 

【取材制度】

イラク攻撃を前に、イラク国内や周辺国ではすでに各国の報道陣が集まっていた。対イラ
ク軍事行動で米国防総省は
2003114日にアメリカ、30日にアメリカ以外のマスメディ
アに対して、軍事行動が現実となった場合の「エンベッド」(
Embed、埋め込みの意)の計
画を説明した。そして、部隊と寝食をともにし、移動しながら取材活動をするという方式
の従軍取材を許可した。このエンベッドには、情報を積極的に提供することによって、武
力行使への批判をかわそうという狙いがあったといわれている。事前に緊急時の訓練を行
った約
600人の報道関係者が、クウェートからイラク南部に入った米軍などに従軍し、取材
を行った。そのうち約
100人は欧州や日本など国外メディアが占め、規模のうえでは前例の
ない試みだった。

 従軍する報道関係者は天然痘と炭そ菌の予防接種を受けるよう勧められ、生物化学兵器
による攻撃に備えたガスマスクや防護服を貸与された。米国防総省のリストによると、予
定される従軍先は陸海空軍、海兵隊の
15部隊で、クウェートやバーレーンなどが拠点とな
っていた。空母キティーホークの場合、
110ドル程度の食事代を実費としてメディア側が
負担した。

この制度について、特殊部隊も含め軍歴30年以上の経験を持つジャーナリズム学のレアード・アンダー
ソン名誉教授(アメリカン大学)は「体力的に記者が部隊についていけるか。また、高度な兵器を理解
できるか。現代のハイテク戦争はベトナム戦争とは違う。ご

く少数を除いて、司令官の説明を後で聞くだけになるのでは」と疑問を投げかけた。また
、カタールの米軍司令部は、開戦後
12回、中東司令官が記者会見すると約束したが、実
際には開戦
3日目にして開かれ、内容も重要なものではなかったという。結局は、制限ばか
りの戦争報道であった。それにも関わらず、従軍取材を米国防総省は「成功」と評価した
。さらに、報道が作戦を邪魔すると懸念された事態はほとんど起きず、ラムズフェルド米
国防長官は「アメリカ国民が兵士らの活動を知ることができた」と自賛した。「ほぼ制約
なしに中継できた」と好意的に受け止めているアメリカのマスメディアもあった。このた
め米国防総省クラーク前報道官は、今後も「さらに多くの従軍を認めたい」と意気込んで
いる。

このような取材制度について、様々な意見が出始めている。ABC8)の記者は「顕微鏡で見
ているようで、全体像がつかめなかった」と反省する。また、米軍部隊と危機を共有する
ことによって親近感がわく「ストックホルム症候群」が見られ、報道内容が米軍寄りにな
るとの指摘もあった。一方、従軍したからこそ分かった事実もあった。イラク人
7人が死亡
した誤射事件をめぐり、米軍は「何度も警告した」と発表したが、居合わせた米紙記者は
「死者は
10人。威嚇射撃はなかった」と指摘した。

 

【ジャーナリスト】

 日本大使館がイラクの首都バクダッドを脱出した38日に、民放各局はバクダッドから
一斉に撤退した。その後、バクダッドに残っていた朝日新聞・毎日新聞・
NHK・共同通信
17日に撤退し、日本のマスメディアはバクダッドからいなくなった。そのため、日本の
マスメディアは、イラク国内の取材を自社以外のジャーナリストに依頼することになった

 イラク戦争では、湾岸戦争に比べて、多くのジャーナリストが活躍した。その一人に綿
(たけ)(はる)がいる。彼は311日、民放各局がバクダッドを撤
退した後、バクダッド入りした。彼はイラク戦争を取材する上で
3つのポイントを挙げている。「イラク
から見てアメリカの攻撃がどう見えるか」、「攻撃される側から戦争とは一体どう見えるか」、「攻撃
される中で、一般の市民がどんな暮らしをしていて、どんなことを考えているか」である。民放局は、
彼がバクダッドに入ったことを聞き、中継リポートの依頼をした。この際に、彼は特定のマスメディア
との独占契約は結ばず、いくつかの民放局や出版社と契約した。なぜなら、特定のマスメディアと独占
契約を結ぶと、彼自身の主体性が失われる恐れがあることや、他のマスメディアで発表できなくなる可
能性があるからである。また、彼と各マスメディアとの契約は、一回のリポートに対する条件と報酬を
取り決めるだけで、取材費などの契約はなかった。

 現地取材をする中で、現地にいるジャーナリストでも知り得ない情報があった。例えば、彼は東京の
民放局との電話のやり取りで、米軍がバクダッドに入ったことを知ったという。

ここに、日本と現地バクダッドの情報にズレがある。つまり、戦争の大きな動きを知るに
は、現地バクダッドよりも、アメリカから大量の情報が送られてくる日本の方が適してい
た。しかし、その情報だけでは、現地の姿を十分に伝えることはできない。現地のジャー
ナリストには、政府機関の発表する情報では、わからない事実を発掘して伝えることが求
められる。

 

【情報操作】

イラク戦争においても、湾岸戦争時と同様に情報操作が行われた。しかし、それは湾岸戦
争とは性質の違うものだった。

 

<女性兵士の救出>

 ワシントンポスト紙は、米軍のジェシカ・リンチ米陸軍上等兵救出劇は、リンチさんの
治療をした医師の証言により、米軍演出の見世物だったと報じた。彼女は
3月末、イラク南
部で捕虜となったが、
41日に病院から救出された。米軍の発表によれば、米特殊部隊が
イラクの反撃に遭いながら、彼女を救出したという。しかし、実際は、米軍が到着した時
には、イラク兵は病院から撤退していたのである。大量破壊兵器が見つからず、世界中で
反戦デモが続く中、アメリカ国民の結束を図るために、物語が作り上げられたのである。

 

<フセイン像倒壊報道>

 米軍がバグダッドを陥落し、世界中のメディアは、フセイン像の倒壊を「バグダッド解
放」の瞬間として報じた。その映像は、多くのイラク国民が歓声を上げ、率先して銅像を
倒壊しているようなものだった。しかし、実際の現場にはそのような高揚はなく、ほとん
どのイラク国民は冷めた表情で、米軍中心でなされる銅像の倒壊を見ているだけだった。
アメリカは、いかにサダム・フセインが人々から憎悪されていたかを象徴的に表すために
、銅像の倒壊を演出したのであった。

 

<略奪報道>

 ニューヨークタイムズ紙は、バグダッド入りした米軍が、暴動や略奪をイラクの人々に
やらせていたのだと報じた。また、人間の盾により反戦を訴えた、スウェーデン人のカリ
ヤード・バヨミも、米軍が人々を扇動し、略奪をさせる現場を見たという。米軍は、アラ
ビア語で「行政府ビルの中に入って、何でも好きな物を持ち出してよい」と人々を扇動し
た。そして、その噂が広まり、人々が略奪を始めたということである。

 

<英政府の情報操作>


8 American Broadcasting Companies Inc  アメリカの四大テレビ・ネットワーク(ABCCBSNBCFox)の一つ。

 

 BBC9)は、開戦前に出されたイラクの大量破壊兵器に関する英政府報告書において、情
報操作があったと報じた。報告書では、(
1)イラク軍は、生物化学兵器を45分以内に配備
できる、(
2)フセイン大統領は、大量破壊兵器の保有を極めて重要視していることを我々
の情報が示している、と記述されていた。しかし、英国防省係官が、イラクの生物化学兵
器隠匿に関する記述について、「誤りではないが、多くの偏向があるとディビット・ケリ
ー博士
10)が言っている」との内容を電子メールに書いていたことが判明した。また、別の
同省係官が、(
2)の「示している」を「示唆している」、つまり、はっきりとは断言でき
ないという表現にすべきだとの懸念を、上司に文書で伝えていた。


 この報告書をめぐる論争の中で、ケリー博士が自殺した。また、
BBCは、英首相府が情
報当局に圧力をかけて、報告書を「人目を引くような」内容に変えさせたと報道し、波紋
が広がった。



4 戦争報道とメディアリテラシー

 メディアリテラシーには大きく分けて二つの意味がある。一つはマスメディアが送る情
報を読み解く能力。そして、それを使って表現していく能力である。メディアリテラシー
は送り手と受け手の両者に必要な能力である。それを考えながら戦争報道をまとめたい。


 
イラク戦争で、日本のマスメディアは自社以外のジャーナリストに取材を依頼した。マ
スメディアも企業である。それゆえ
に、社員が事故に巻き込まれること
は避けたいと願う。しかし、戦争と
いう重大なニュースを他のジャーナ
リストにまかせきりで良いのだろう
か。ジャーナリストとして、自分の
目で確かめたいと思う気持ちはない
のだろうか。
 また、今回NHKは現
地取材のジャーナリストを使わなか
った。現地からの映像を得られなか
った。それによって、民放各局と、
ある点で差が出てしまった。図から
わかるように、情報源がアメリカ側
からのものが多くなってしまった。これでは、報道の公平性を保つことは難しい。報道は
常に多角的な視点から行わなればならない。

 戦争報道において最も重要なことは、取材で得た情報を読み解き、発信することである。特に戦争当
事国から提供された情報には注意が必要である。事実なのか、プロパガンダな

9 British Broadcasting Corporation   英国放送協会。

10 英国防省の兵器専門家。


のか、確かな取捨選択が必要である。これも送り手側のメディアリテラシーである、と私
達は考える。

 受け手である私達は、この戦争報道をどう受け取ったのだろう。米軍や従軍取材から送
られるリアルな映像を他人事のように見てはいなかったか。映像をゲームのように楽しん
ではいなかったか。爆撃の映像の裏には犠牲になる市民がいることを考えたか。私達は情
報をそのまま受け取ってはいけない。その情報の意味するものを考えることが必要である
。イラク戦争の情報操作で述べたように、フセイン像崩壊の映像は意図的に作られたもの
であった。しかし、私達はそのまま受け取ってしまった。メディアリテラシーは普段から
意識的にメディアと接することから始めなければならない。

 このように、イラク戦争にも問題点があった。戦争の全てを映し出すことは、不可能な
のかもしれない。現地の映像を多く使ったとしても、それもほんの一部に過ぎない。そし
て、その一部をつなぎ合わせても全てにはならない。戦争報道は複雑である。しかし、マ
スメディアは少しでも多くの事実を伝えなければならない。戦争の悲惨さを私達に知らせ
るべきである。戦争報道は二度と戦争を繰り返さない為にあるのだから。私達は事実を知
ろうとする努力が必要である。もちろん平和を願って。

第3章              メディアリテラシーの歴史

 メディアリテラシーの取り組みは、1953年にアメリカでNTC(National Telemedia
Council)がメディアリテラシー推進機関として発足したことに始まる。続いて、外国では
様々な団体が作られた。また、メディアリテラシーに関する多くの会議が開かれ、発展し
た。

 日本では1977年にFCT「子供のテレビの会」(Forum for Children's Television&Media
)が発足し、メディアリテラシー研究が始まるが、一般的な関心は生まれなかった。しか
し、次ページの表からわかるように、1990年代から活動が盛んになっている。日本におい
て、メディアリテラシーは、これから大いに発展できる研究である。

第4章              メディアリテラシー教育と現状

欧米をはじめとする各国では、メディアを理解すること、メディアリテラシーが情報化
時代に不可欠だとの認識から、教育現場や市民活動に積極的に取り入れられている。以下
、イギリス、カナダ、アメリカ、日本のメディアリテラシー教育を見ていきたい。

1 イギリス

 イギリスはメディア教育の発祥の地である。1930年代、「イエロージャーナリズム」と
いう「低俗」大衆マスメディア、大衆小説などが流行し、インテリ層はこの状況を、危機
感を持ってとらえていた。やがて、子どもたちに大衆メディアを批判的に見る力をつける
必要性が訴えられた。そのための取り組みが、「メディア教育」として位置づけられたの
である。この頃から教育現場での実践が始まり、映像メディアの影響力が認識されるにつ
れ、メディア教育の中心が映画、そしてテレビへ移行した。
1970年代には、学者達がメデ
ィア教育に拍車をかけた。
1980年代、イギリス人のレン・マスターマンが『メディアを教
える』(“
Teaching Media1985年)を出版し、世界中に大きな影響とメディア教育に新し
い発想を与えた。彼は「メディアは単に現実を伝達したり、反映しているのではなく、“
現実”を構築し、再提示する/コード化するプロセスに積極的に関わっている」というコ
ンセプトを、メディアを理解するための大前提として提示した。また、メディアは単なる
「窓」と考えられがちだが、窓であるにしても、それが映す風景は窓が取捨選択し、演出
し、場合によっては歪めてしまうものであると彼は考えた。この考え方がメディア教育の
必要性や、実践的な理論的枠組みを明快に提示した。また、メディア教育の必要性が、そ
れまでのテレビの影響を危惧することから変わってきている。テレビが映し出す社会を理
解すること、メディアが社会において重要な地位にあり、メディアを理解し検討すること
、を重視するようになった。

 イギリスでメディア教育が発展した背景には、英国映画協会(BFI:British Film Institute)の
存在がある。
BFIは、1933年に設立された半官半民の組織であり、「公式、非公式の教育を
通じて映像に対する理解を深めてもらい、それによって映像の素晴らしさを知ってもらう
こと」をモットーに活動している。教育部門の教育プロジェクトでは、メディア教育に焦
点を当て、調査、研究、政策提言など、教育関係者と連携し、教授法の発展のために努力
している。近年、イギリスでも多メディア、多チャンネル時代を迎えていることもあり、

BFI
では動画を理解するための教育の必要性を訴えている。またBFIは、ロンドンに世界初
の動画博物館を創設し、メディアを楽しみながら学習できる場を提供している。さらに学
校と映画産業を結びつけ、教育現場で映画が活用されるように教材作りも行っている。

 イギリスでは、1988年の教育改革法を受け、1989年からメディア教育が正式にカリキュ

ラムに取り入れられるようになった。このカリキュラム作成にはBFIのロビー活動11)が大
きな影響を与えた。

 イギリスのメディア教育は、「国語」の時間に組み入れられている。初等教育(511
)では活字のみでなく、テレビ番組などの映像読解が求められている。中等教育(
1116
歳)では、実際に新聞、広告、テレビを教材に使用し、制作なども行う。情報の内容の分
析にとどまらず、表現形式(書体や字の大きさ、映像の順番や音楽など)がテクストとど
のように関わっているかといったことも含まれ、それぞれのテクストのスタイル、テーマ
、長所と短所を比較し、類似性や相違を明らかにするといったことも学習のポイントであ
る。また中等教育(
1618歳)では、メディア教育は独立した科目として存在している。
大学教育に関しては、メディアリテラシーが大学入学資格試験の選択科目として認定され
ている。現在、映画とメディア研究、メディア研究、上級メディア研究という科目が履修
可能となっている。ロンドン大学、サザンプトン大学など、英国中の多くの大学で、教師
のためのトレーニングプログラムがある。

【実践例】

 ロンドンのある小学校では、CMを授業の題材として活用している。CMは短いながらも
強烈な映像(ビジュアル)で表現され、インパクトのあるメッセージを与えるものである
。授業では、そのような
CMの性質を理解した上で、メディアが作り出した現実と自分達の
現実とを比べる。そして、メディアが映し出す世界を認識する作業を通して、「女の子ら
しさ」や「家族のあり方」といったよく使われるイメージが必ずしも現実社会を反映した
ものではなく、こうした事例が「典型的」で「正しい」とは限らないことを考える。この
ようにして、
CMの芸術性を理解するとともに、商品を売る目的のために作られたメッセー
ジに、どのような意味や価値観があるのかを学習している。

 ロンドンのイズリントン高校では、映像理解のために、生徒達が映像制作をしている。
撮影に入る前に、その準備段階として、生徒達はヒッチコックやカメラアングルなどにつ
いて勉強し、短編ストーリーを作り、それを絵コンテにまとめる作業をする。しかし、準
備万端で撮影に臨むものの、なかなか思うようにはいかない。こうして試行錯誤を繰り返
すことにより、生徒達は一つのシーンを撮るにしても、色々な選択肢があること、作品は
結局、細切れの映像をつなぎ合わせ、編集されたものであることなどを身をもって体験す
る。そして、映像に対する批判的理解を深めることができるのである。


11           団体や企業、個人などが自分たちの利益を守ったり、有利な条件を得ることができるように、
   法律を作ったり、
予算を獲得してもらうために、議員や政府関係者などに働きかけること。国
   によって形態は違うが、主要民主主義国家では共通して見られる現象。
  

2 カナダ

カナダはメディアリテラシー教育がもっとも盛んな国の一つである。カナダのメディア
リテラシー教育の始まりは、
1960年代頃からである。公民権運動やベトナム反戦など、社
会問題を考えるきっかけとして、映画を授業に取り入れるようになった。
1966年にはトロ
ントに映画教育協会(
CASE:Canadian Association for Screen Education)が設立された。またこ
の頃、世界的に知られるメディア学者マーシャル・マクルーハンが、トロント大学をベー
スに当時のニューメディアであったテレビなどの電子メディアについて、「メディアはメ
ッセージである」というセンセーショナルなキーワードを使って大胆に分析し、世界中か
ら注目された。
1970年代に入ると、教育の保守化や予算削減に伴って、映画が授業で使わ
れることも下火になり、
CASE1971年に解散した。しかし、1970年代後半、テレビによる
性や暴力の過激な描写により、メディアの悪影響が懸念されるようになった。それを法的
に規制するにも限度があると考え、メディアに対する批判力をつけることが大事であると
思われるようになった。加えて、カナダは国土が広い割に人口が少なく、散在しているた
め、コミュニケーションメディアが積極的に受容されていることや、隣国アメリカのメデ
ィアの侵入に悩まされていた。そのためメディアを教えることの必要性が出てきた。

 そこでマクルーハンから直接教えを受け、長年に渡ってメディアリテラシー教育の必要
性を痛感してきたダンカンが中心となり、
1978年、メディアリテラシー協会(
AML:Association for Media Literacy
)が創設された。AMLが中心となり親や教師などの協力を
得て、子どもたちに批判的思考を身につけさせるため、オンタリオ州教育省にメディアリ
テラシーの重要性を訴え続けた。その結果、
1987年、イギリスに先んじて世界で初めて「
国語」のカリキュラムの中にメディアリテラシーが取り入れられた。

 カナダ全人口の3分の1を占めるオンタリオ州の動きは、他州の教育関係者を刺激し、メ
ディアリテラシー推進団体が次々と結成された。また、
1992年には各地で展開されている
活動を結びつけ、全国規模でのメディアリテラシーの促進を図る目的で、カナダメディア
教育機構(
CAMEO:Canadian Association of Media Education Organization)が設立された。
CAMEO
は政策提言なども活発に行っている。このような流れの結果、今ではカナダ全10
でメディアリテラシーがカリキュラムに組み込まれるようになった。

カナダのメディア教育は「国語」の時間に取り入れられている。当初は、中学生からのメ
ディア教育であったが、現在では小学校から高校までの全学年でメディアの学習が義務付
けられている。初等教育(
614才)では、国語のカリキュラムが「書く」「読む」「口頭
と映像によるコミュニケーション」の3つに分かれており、とりわけ映像や動画を活字と
同じように理解することに力を入れている。中等教育(
1416才)のカリキュラムは、「
書く」「読む」「文学研究」「言語」「メディア研究」の5つのパートからなる。中等教
育(
1618才)には、選択科目として「メディア研究」が設置されている。

カナダにはメディアリテラシーを支援するテレビ局「チャムテレビ」がある。このテレビ
局は、
1997年、メディアリテラシーの支援を行うための専門部署として、「メディア教育
部」をテレビ局として初めて設立した。「チャムテレビ」では
AMメンバーも協力し、メデ
ィア批判の番組を制作、放映している。ミュージックビデオや広告などを取り上げて、メ
ディアがどのように情報を伝えているか、という内幕を明かしたり、映画の制作過程だけ
でなく、そのマーケティング、トリックなども検証する番組を制作している。こういった
番組は、ビデオ化されたり、カナダの公立学校では無料のケーブルサービスを通じて録画
できるようになっており、教育の現場で教材として利用されている。

 その他に、公共放送CBC12)やテレビオンタリオは、メディアリテラシー教材や関連情報
の提供を行っている。映画会社のワーナーブラザーズ・カナダは、映画の暴力シーンに関
する学習ガイドを作成したり、「チャムテレビ」に映画素材を提供している。国立映像委
員会(
National Film Board)もメディアリテラシーをテーマにしたブックレットを開発してい
る。

 

【実践例】

メディアリテラシーを取り入れているトロント郊外のミドルフィールド高校では、テレビ
制作の選択授業で、生徒達がニュースの生放送を体験した。授業は、
8分間のニュース番組
を生放送するという設定で行われた。ニュースを選び、映像や原稿を用意し、教室にセッ
トを作り、番組進行表に従い番組を進めていく。生徒達は、実際には画面に映らないとこ
ろで様々な作業が行われていること、ニュースは送り手によって選択されていること、一
つのニュースにおいて、キャスターの意見とニュースそのものの事実は区別されなければ
ならないこと、映像が与える印象、影響などについて知ることができ、制作を通してメデ
ィアに対する理解を深めることができたといえる。

 マニトバ州のある公立高校では、メディアリテラシーの授業の中で、ジーン(zine13)、イージーン
ezine14の製作を行っている。生徒達はA4サイズくらいの紙を使いジーンを製作する。まず、表
紙は読者が興味を覚えるような、刺激的で、興味深いデザインにしなければならない。タイトルは上方
に見やすく、目立つように書く。次に内容である。はじめにラント(
Rant15)を書く。普段自分があ
ることに対して思っていることを下書きし、その後その文章の言い回しを変えたり、ユーモアを交えた
り、自分らしさが出るようにし、短くまとめる、といった文章を磨く作業をする。例えば、ある女生徒
は、“
Yes, I’m Beautiful”と題し、「メディアが女の子にモデルのように細く美しくあれ,とメッセ
ージを送るが、人生にはそんなことよりもっと大切なことがある。例えば、人格や創造性を磨くことと
か、正直に生きるといったことの方が重要である」といったラントを作った。次に





12 Canadian Broadcasting Corporation  カナダ放送協会。
13 マガジーン(magazine)の語尾。商業的採算を考えない、個人が発行する個人的内容のマガジンを意味する。
14 electrical magazineのこと。電子メールあるいはインターネットを使って発信する電子の個人雑誌を意味する。
15 自分が思っていることを話したり、書いたりして言い放つこと。

クリップアート16)の作成である。これを実際に作成することで、メッセージを伝えるには
どのようにすればよいか、どのようにすれば強い印象を残すことができるかを学ぶことが
できる。そして、絵の裏にあるもの(
behind the picture)を考える。教室の10枚の絵画から
2
点選び、表現されている裏にあるものを考え、10の質問を作ったり、写真に質問をつける
という課題である。この作業により、絵画や写真が受け手にどのような印象を与えるかを
学ぶことができる。これにより、自分の表現が受け手にどのように伝わるのかを知る。最
後に、製本機などを使い、綴じ、完成である。このジーンの制作は、インターネットを想
定していて、メディアリテラシーで大切な情報の発信、個人情報発信、の発想で雑誌を作
らせているところが新しく、生徒達も楽しんでメディアリテラシーを勉強できるものであ
る。

 

 

3 アメリカ

 アメリカでメディアリテラシーの重要性が認識され始めたのは、イギリス、カナダより
少し遅れた
1970年代からである。テレビの暴力シーンが子どもに悪影響を及ぼすという調
査の結果から、教育省が教育プログラムを開発し、全米の学校に教材を配布したのが始ま
りである。しかし、これは政府からの一方的な動きであり、教員教育などの支援もなかっ
たため、メディアリテラシーを普及させるための活動を引き起こすまでには至らなかった
1990年代に入り、子どもがメディアと接する時間が長くなり、テレビ、映画の性や暴力
の描写の急増が問題となり、再びメディアの学習に注目が集まった。
1992年には「メディ
アリテラシー全米指導者会議」が開かれた。また、
1993年の教育者、放送関係者が一同に
会したハーバード大学の講座をきっかけとして、国内の活動が活発となり、
1994年に全米
で初めてニューメキシコ州の高校に、メディアリテラシーのカリキュラムが取り入れられ
た。
1999年の時点では、「国語」のカリキュラムで映像メディアを学習に取り入れている
州がアメリカ全
50州のうち46州に上った。さらに「国語」以外の社会、歴史、市民教育で
30州、保健、栄養、消費者教育などに取り入れている州も30州に上った。また、ノース
カロライナ州のアパラチア大学教育大学院に、メディアリテラシーの専攻科が、
2000年に
全米で初めて開設された。

 

【実践例】

 メリーランド州にあるモンゴメリ・ブレア高校では、メディアリテラシーの授業が積極的に行われて
いる。その一つに、メディアの経済的な側面について検討する授業がある。生徒は民間放送局とスポン
サーに分かれ、相互関係をシミュレーションする。民間放送局



16      クリップアートとは、雑誌、新聞、本などの写真や文字を切り抜いて、自分の視点で構成した表現。
  また、コン
ピューターに入っているイラストや写真などの画像集、写真を構成してボードに貼った表現。

は、CMの時間枠を企業に売ることで成り立つものであり、企業がターゲットにする消費者
に向けて効果的に
CMを流せるように番組を作っていることを学ぶ。そして、民間放送局の
収入の大半が企業広告であることから広告主を批判しにくいことや、視聴率を高くするた
めにセンセーショナルでインパクトの強いものが伝えられがちになることも理解していく
。また、
MTV17のミュージックビデオを使った授業も行っている。生徒達は自分の好き
なミュージックビデオの監督を選び、カメラアングルなどのテクニックを分析し、実際に
ミュージックビデオを作るのである。この過程で、生徒達はどのような効果を狙ったもの
なのかなど、映像が意味するものを理解する。同時に、自分の視点で表現することを学ぶ

 ニューヨークにあるタフト高校は、生徒による殺傷事件などが起き、マスコミの過熱報
道も手伝って、学校のイメージは最悪の状態であった。そこで、生徒達による学校の「真
の姿」を伝えるドキュメンタリーを制作することになった。生徒達は授業で、テレビニュ
ースで放送されたタフト高校に関する街頭インタビューを分析した。ニュースで流された
ものだけが、タフト高校の「真の姿」を表すものだったのか。また流されなかったものは
、どのようなもので、どのような理由があったのかを考えた。そして、送り手がどのよう
な「意見」を選ぶかで、世の中の「事実」も変わって見えることを知り、「真実」とは何
かを考えた。こうして数ヶ月間の制作を経て、作品を完成させた。

 

 

4 日本

 日本は、イギリス、カナダ、アメリカから比べるとメディアリテラシー教育に遅れをと
っている。
1972年、ドリフターズのテレビ番組が批判され、この頃から有害な番組に対す
る対策が始められた。日本
PTAでは、マスメディア調査委員会を設置し、テレビに対する調
査が行われてきた。
1990年代に入ると、子どもたちに性や暴力の描写のある番組を見せな
いために
Vチップ18)の導入が検討される中、規制をするよりもメディアリテラシー教育の
重要性が認識されてきた。

 日本においてメディアリテラシーは、学校教育では必須の科目ではなく、一部の教師が
国語、社会、総合学習の時間等でメディアリテラシーの実践を行っている。こうした教師
達が「授業づくりネットワーク」といった、メディアリテラシー教育の研究組織などで交
流を図る一方、学識者等の活動も活発になってきている。

 その一つに、東京大学大学院情報学環MELLプロジェクト19が、メディアに媒介された「表現」と
「学び」そして「メディアリテラシー」について実践的な研究を目的に設立された。メディア研究者、

NPO
関係者、教育関係者などを招き、報告会やシンポジウムを



17 音楽専門チャンネル。
18 Violence Chipの略。子どもにとって有害なテレビの暴力シーンや性描写を、自動的に遮断する装置と
しテレビ受
像機に内蔵されているICのこと。アメリカで開発された。
19 Media Expression Learning and Literacy Project.  

行い、日本のメディア教育発展のために活動している。

 

【実践例】

 京都府宇治市立小学校のあるクラスでは、社会科の授業の中で、子どもたちがメディア
の仕組みを理解するために「学校の
CM作り」を行った。生徒達は校長先生と教頭先生をス
ポンサーに見立て、どのようなことを
CMに取り入れて欲しいかを取材した。そして、キャ
ッチコピーや絵コンテなどを制作した。生徒達は表現することの難しさを知り、学校を客
観的に見ていくようになる。こうして、積極的に自分で考え、撮影、編集を行い、作品を
完成させた。こういった
CM作りは、子どもたちがメディアに触れ、メディアを知る、生き
た場を提供している。

 神奈川県川崎市立中野島中学校では、メディアリテラシーについて学ぶ前に、生徒達に
メディアの存在を意識させる目的で、メディア自分史を作り、メディアと自分の関係を明
らかにし、問い直すという授業を行っている。まず、教師が「メディアとは、テレビや新
聞など、情報を伝える手段である」と定義し、自分が子どもの頃、テレビで何を見ていた
かなどを例に出しながら、メディア自分史の作り方を教える。次に、生徒達が実際にメデ
ィア自分史を作る。年齢と共に自分が見ていたテレビ番組、読んでいた新聞、雑誌などを
振り返っていく。こうして出来上がったメディア自分史を一人ずつ発表していく。聞く側
はメモを取り、班ごとに話し合い、共通点などを見つけていく。そして最後に教師は、生
徒達のメディア自分史になぜ共通点があるのか、メディアとは何か、といった疑問を投げ
かけ作文を書かせる。この過程で、生徒達はメディアの存在を自覚し、メディアについて
自分なりに考えるようになる。同時に、メディアと自分達の関係を批判的に分析するよう
になる。また、書くこと、話すこと、聞くこと、といった作業を交互に行うことで生徒が
集中し、興味を持って活動することから、メディアリテラシー教育の第一歩として効果的
な授業だといえる。

 

 

5 メディアリテラシーのこれから

 イギリス、カナダ、アメリカ、そして日本のメディアリテラシー教育を取り上げてきた
が、この他、オーストラリア、ヨーロッパ各国、南米、ロシア、南アフリカ共和国、フィ
リピン、香港でもメディアリテラシー教育が発達している。

 また、国連機関のユネスコの支援活動を中心に、国際的なメディアリテラシー教育の取
り組みが行われている。

 

問題点】

 国際的な広がりを見せるメディアリテラシー教育であるが、問題は山積している。それ

は、メディアリテラシー教育の進んでいるイギリス、カナダ、アメリカも同様である。以
下に問題点を4つ挙げる。

1、メディアリテラシー教育者の育成

メディア技術は急激に進化しており、それに対応できる新たな教育者を育成するこ
とは容易ではない。

2、教材の入手

授業で映像作品を使用する際、著作権により入手困難な場合がある。日本ではメデ
ィアリテラシー教育用の教材はあまりないといえる。

3、成績評価

メディアリテラシーの授業は生徒達が自主的に取り組むことと、実践が大切なのだ
が、最終的な評価は論文試験が多い。メディアリテラシーを総合的に評価するため
には、論文だけでなく新たな評価方法を模索する必要がある。

4、メディアリテラシー教育に対する評価

   メディアリテラシー教育が、学生にとって将来の職業選択に直接役立つとはいえ
   
ないとの見方があるため、メディアリテラシー教育が発達しているイギリスでも、
   受け入れに消極的な学校もある。   

 

さて、メディアリテラシー教育先進国に遅れをとっている日本は今後どうなるのか。

 日本でメディアリテラシー教育が広まらないのは、先に挙げた問題点に加えてメディア
リテラシーが受け手に批判的思考を求めるものであり、教師の行う授業に対しても批判的
に受容されては困るという教師の権威性があるからである、と考えられる。しかし、今や
日本はテレビの多チャンネル化、パソコン・携帯電話の普及などにより、情報が溢れてい
る。それに伴い、最近ではインターネットや携帯電話が簡単に利用できてしまうことで、
子どもたちが犯罪に巻き込まれるケースが増えてきている。

 こうしたことから、日本ではメディアリテラシー教育をさらに推し進めていかなければ
ならない。そのためには、政府の積極的な働きかけと
NPO団体などの活動、そして何より
教育現場にいる教師が、今まさにメディアリテラシー教育が必要なのだということに気付
かなければならないのだと思う。また、大学でメディアを勉強し、そこでメディアリテラ
シーと出会った私達学生からも、メディアリテラシー教育の重要性を訴えていく必要があ
る。






第5章              メディアリテラシー関連市民活動

 現在のメディアラリテラシー活動の中心となっている団体を紹介する。

 

イギリス

The Media and Communication Studies Site  

 これは、メディアとコミュニケーションに関する学術的な研究に役立つ、ウェブ上の資
料にリンクできるサイトである。メディア理論を専門とする
Department of Education in the
University of Wales,Aberystwyth(UWA)
の講師であるDr. Daniel Candlerによって、1995年に開かれ
た。

 

イングリッシュメディアセンター

 メディア教育のための教材制作や、教員教育などの充実したプログラムを提供している

 

 

カナダ

Media Awareness Network

 子どものためのメディア活動で世界をリードするカナダの情報交換の機関。メディア教
育のためのネットワークをサポートするためのものである。このサイトは、子どものメデ
ィア、メディア産業、メディア教育、メディア問題などの広範な分野の情報を提供してい
る。
Vチップなどに関する情報も充実している。

 

The Jesuit Communication Project

 カナダ全国の学校におけるメディアリテラシー教育を推進している。様々なメディアの問
題に関するワークショップと講演、会議を行っている。これらは、カナダ全土は無論のこ
と、オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパ、アメリカなどで行われている。

 

Canadian Association of Media Education Organization (CAMEO)

 1992年に設立された、カナダ人メディアリテラシー・グループの全国組織である。カナ
ダにおけるメディアリテラシーの普及、促進、発達が
CAMEOの目的である。

 

Association for Media Literacy: Ontario (AML)
近代文化の創造においてマス・コミュニケーションの持つインパクトに関心を持つ教師、

コンサルタント、親、文化に関わる市民、そしてメディア専門家たちによって設立された

機関である。1987年にメディアリテラシー教育のカリキュラム導入を実現させた。1989
には、オンタリオ州教育省が教師向けに発行し、現在、アメリカをはじめとした英語圏の
国々においても活用されている『メディア・リテラシー・
リソース・ガイド』の執筆を担
当した。最近では、中心メンバーが世界各国で話をする機会も増えているなど、メディア
リテラシーの普及に努めている。

 

Media Literacy Saskatchewan

 Saskatchewan Teacher's Federationの特別委員会である。1990年に設立され、授業でメディ
アリテラシーを教えることを希望している教師をサポートすることが目的である。このウ
ェブ・サイトは、メンバーにリソースとして利用してもらうため、またメディアリテラシ
ーを援助するリソースを
WWW上に置くために開始された。それには授業計画や、MEDIAVIEW
のバックナンバーといったリソースも含まれている。また、世界各地のメディアリテラシ
ー市民組織とリンクを展開している。

 

Asscoataion for Media Literacy

 現代生活、文化、教育に対してメディアが与えるインパクトに興味を持つ教育者、親、
メディア専門家によるメディアリテラシー組織である。
1987年にメディアリテラシー教育
のカリキュラム導入を実現させた。

 

 

アメリカ

Center for Media Literacy
 学校でのメディア学習活動に使用するための教科書とメディア・リソースを発行している
。また、若者や家族に与えるマスメディアの影響に関心を持つ学校や教会、コミュニティ
ーのプログラムにおける、メディアリテラシーを促進することに専念している。このセン
ターではメディアリテラシー素材のカタログをオンラインで見ることが出来る。

 

Citizens for Media Literacy

 教師や父母のためにメディアリテラシーのトピックに関するワークショップやシンポジウ
ムを提案している。ペンシルベニア大学のアンネンバーグ・コミュニケーション学部と提
携している。また、メディア・リテラシー・オンラインプロジェクトは、特別な
CMLのフ
ァイルのコレクションともアクセスすることができる。

 

 

 

Hawaii Media Literacy Page

 ハワイや世界中に存在するメディアリテラシーに関する情報の収集に興味を持っている人
々のための資料として作られたサイトである。

 

 Media Education Foundation 

 全てのアメリカ人の生活においてメディアが果たす役割を重要と考え、その教育素材を作
り出すため、またメディアリテラシーを広めるため活動している非営利組織である。メデ
ィアリテラシー関連のリンクを含んでいる。

 

Media Literacy Online Project 

 子ども、若者、そして大人の生活にもたらすメディアの影響に関連した広範囲なリソース
、情報を提供している。目標はこれらを教師、学生、親、そして制作者に供給することで
ある。

 

Media 2000: New Mexico Media Literacy Project On-Line

 ニューメキシコ・メディア・リテラシー・プロジェクトのホームページは、ニューメキシ
コ州の教育局と、アルバークルークアカデミーの援助を受けている。ニューメキシコ州を
、アメリカでもっともメディアリテラシーの進んだ州にすることが、目的である。定期的
に、
教師、学生、親やその他の人々に有用であると思われるニュースや情報、無料の教材
を提供している。

 

Stratgies for Media Literacy

 小学生教育から始まるメディアリテラシーを促進する非営利組織である。このサイトでは
教師、親に向けたメディアリテラシー教育のリソースを提供している。

 

VidKids Media Literacy Program

 カリフォルニア大学リバーサイド校にある、カリフォルニア写真ミュージアム(GMP)の新
しいプログラムとして、
1992年から始まった。Vidkidsの目的は、小学生の子どもにビデオ
及び他の映像メディアに関する技術的でクリエイティブな側面を学び、経験する機会を提
供することである。参加している四つの小学校の間では、双方向コミュニケーションがサ
イト上で実現している。

 

ライズアンドシャインプロダクション

 ハーレムの子どもたちにビデオを使い表現することを教え、子どもの視点から社会問題
を投げかける活動を行っている。

 

チルドレンズ・エクスプレス

 メディアリテラシーを教える団体ではないが、ここでは8歳から18歳までのボランティア
ジャーナリストが取材や執筆を行い、そのニュースは「ニューヨークタイムズ・ニュース
サービス」を通じて、全米350の新聞社やイギリスに配信されている。

 

 

日本

FCT市民のメディア・フォーラム(Forum for Citizens’ Television & Media

 FCT市民のメディア・フォーラムはテレビの作り手、視聴者、研究者が立場を超えて集い
、より良いテレビの実現をめざして実証的研究と実践活動を積み重ねていくための広場=
フォーラムとして、
197710月に創設された。

参考文献 ウェブサイト 

 

メディアリテラシー

 Potter,James(2001).Media Literacy,2d ed.Sage Publications

  Masterman,Len(1985).Teaching the Media,Routledge

  菅谷明子.2000)メディアリテラシー 世界の現場から.岩波書店

 藤川大祐.2000)総合学習シリーズ 
メディアリテラシー教育の実践事例集 情報学習の新展開
.学事出版

 天野勝文 松岡新兒 植田康夫編.2001)現代マスコミ論のポイント.学文社

 

 京都大学

http://www.educ.kyoto-u.ac.jp

 

授業作りネットワーク

http://www.jugyo.jp

 

メディアリテラシーメディア社会をデザインするために

AkikoSugaya@aol.com

 

世界のメディア教育

http://www.soj.jp

 

A Web Site of Kazuhiro KAGOYA

http://home.kanto-gakuin.ac.jp/^kkagoya/class/infosoc2003/0626.pdf

 

戦争報道

 田宮武.1997)テレビ報道論.明石書店

 原寿雄.1992)新しいジャーナリストたちへ.晩聲社

 桑原史成.1989)報道写真家.岩波書店

 古田元夫.1991)歴史としてのベトナム戦争.大月書店

 武田徹.2003)戦争報道.筑摩書房

 玉木明.1999)「将軍」と呼ばれた男 戦争写真家岡村昭彦の生涯.洋泉社

 岡村昭彦.1990)南ベトナム戦争従軍記.筑摩書房

 澤田サタ.1999)泥まみれの死−澤田教一ベトナム写真集−.講談社

 ロバート・キャパ.1974)戦争−そのイメージ−.ダヴィッド社

 今村庸一.1996)映像メディアと報道.丸善ブックス

 ピーター・アーネット.1995)戦争特派員−CNN名物記者の自伝−.新潮社

 原憲一.1995)戦場特派員湾岸戦争を伝えたテレビの舞台裏.蒼洋社

 創2003年7月号.創出版

 

  読売新聞ホームページ

 http://www.yomiuri.co.jp

 

 Mainiti INTERACTIVE

  http://www.mainiti.co.jp

 

 戦争プロパガンダ−湾岸戦争 マスメディア編−

 http://www.edu.ipc.hiroshima-cu.ac.jp/^g11012/semi-2.html

 

湾岸戦争における情報操作

http://www.mydome.or.jp/daww/daww/medhia.htm

 

情報操作

http://www.et.soft.iwate-pu.ac.jp

 

KYODO NEWS

http://www.kyodo.co.jp

    

 

 

 

おわりに

 

 

 

 私達は4月から、授業と平行して、この冊子と映像を作ってきました。どちらも初めて経
験することであり、戸惑いの連続でした。テーマを決める際には、それぞれがアイデアを
持ち寄ったため、一つにまとめるのに苦労しました。映像では、出演交渉や撮影日程の組
み方など撮影以外の部分の難しさも痛感しました。冊子では、資料探しから製本まで、全
員の思いが詰まっています。この制作を通して、作り出すことのおもしろさと難しさを知
りました。

 メディアリテラシーは、まだ社会に浸透している言葉ではありません。しかし、これか
らを生きていくためには、必要な考え方であるのは間違いありません。もうすでに必要な
のかもしれません。そんなに難しいことではありません。メディアに触れるときに、この
言葉を思い出すだけでメディアリテラシーです。この発表をきっかけにメディアリテラシ
ーを意識してもらえたら、うれしく思います。

 最後に、未熟な私達に助言を与え続けてくれた、向後先生、先輩の皆様、本当にありが
とうございました。

 

 

 

 

 

 

向後ゼミ4期生

   小島 真理子

 坂 紗也佳

佐長 由紀子

 高木 莉瑛

 中村 悠

 新原 寛人

 平野 悦子

 本間 豪介

 宮本 忠

 

『出典 放送レポート9月号(2003年)より』