はじめに

 

今回、私達は研究テーマとして“メディアリテラシー”を取り上げますが、突然このような言葉を聞いても、興味の持ちようがないでしょう。ただ、“メディア”という言葉から、新聞やテレビ、ラジオといった身近な環境を思い浮かべることができるのではないでしょうか?
 その、「メディア」についてのお話しです。

とはいうものの、私達も実際に勉強を始めてみて、この「メディア」という言葉を用いるようになりましたが、それまでこの言葉を使うことも、まして「メディアってなんだろう?」なんて考えることも、考えようとしたこともありませんでした。

しかし、考えてみてください。意識しないだけであって、「メディア」は私達ともっとも近いところにあるのです。玄関に新聞、茶の間にテレビ、机にインターネット、手のひらに携帯電話、ポケットに入るゲーム、CDMD、さらにはDVDまで。こんなにたくさんあります。お金を出してハードを買い、利用するのにもお金を払っているのに、メディアそのものについて考えたこともない。洋服なら、「これは、今年買いかな?買うべきじゃないかな?」と悩むし、食べ物なら、「本当にこれは美味しいのかな?太るんじゃないかな?」などと考えるのに。

そんなふうに、私達の身近にあるもの、生活の中にあるもの、メディアについてちょっと考えてみようと思うのです。メディアとうまく付き合って、メディアを賢く利用したいですよ、ね?

だだ、メディアといっても、いろいろな種類があります。ここでは身近にあるメディア、テレビを中心に、メディアリテラシーについて考えてみたいと思います。日本人のテレビ視聴時間は、最新データによりますと、平日3時間25分、土曜3時間38分、日曜413分、となっています。

1995年のデータですから、少し古くなりますが、アメリカでは子どものテレビ視聴時間は週平均25時間、小学校を卒業するまで、テレビで殺人シーン8000件、暴力シーン10万件を視聴している、という推測もあります。テレビは、今ではすでに、オールド・メディアと呼ばれることもありますが、今度のアメリカのテロ事件でも、情報をインターネットより、テレビから得る人のほうが多かったといわれています。

オールド・メディア、テレビはまだ健在です

 

 

向後ゼミナール

二期文献班

@

 

 

MEDIA


 “メディア”とは、コミュニケーション過程を構成する要素の一つです。メディアを媒体として、情報は流れていきます。メディアは、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった媒体を総称した言葉で、正確に言えば、一つ一つの媒体はメディウム(medium=メディアの単数形)となります。音声と映像の二つの機能を持つテレビは、いくつかあるメディウムのなかでも、特に影響力が大きな媒体です。

<コミュニケーションの流れ>

記号(メッセージ)

情報源送り手媒体(メディア)===⇒受け手

 

つまり、情報を情報源から≪受け手≫に送るまでの≪流れ≫がコミュニケーション、送り手が利用する媒体がメディア。受け手がマスになれば、コミュニケーションがマス・コミュニケーション、媒体はマス・メディアとなります。


 マス・コミュニケーションは、一度に多くの人に情報を伝えられるという利点がある反面、次のような問題点があります。

  ・ 情報は一度に多くの人に伝えられるが、その情報を全ての人がうのみにすると、国全体が、その考えになってしまう。
 ・情報はその内容により、世の中がよくなることもあるが、悪くなることも考えられる。
 ・一人一人の考え方は違うから、情報の“よしあし”、その内容、情報が必要かどうかは、個人レベルで判断するしかない。

 だからこそ、送り手であるメディア側には、受け手が正しく判断できるための情報を、送ることがもとめられています。しかし、実際にメディアはその要請に必ずしも応えているとは言えません。であればこそ、受け手である私達は、メディアが送ってくる記号の意味を読み解いて、情報を選別する必要があるのです。

テレビ放送事業

 日本の放送は、放送法でその存在を規定され、受信料を財源とするNHKと、放送時間を販売して得られる広告収入を財源とする民間放送、この2つのシステムで構成されています。広告収入に依存する民間放送に対しては、次のことを考えなければなりません。
  
スポンサーは、商品の売上げを期待して、宣伝手段の一つとしてテレビを選び、スポンサーのねらいと合った番組のCM枠を買う
 ・   そのため、スポンサーは、視聴率を重要視する
 ・ 
同じ番組で同業他社の宣伝を行わないように心がける。 

これを図式化すると、次ぎのようになります。

 

A

 

スポンサー−−⇒
自社の商品と照して、CM枠を買う

放送時間 視聴率層
番組内容 視聴率

・・・・番組

広告料

テレビ局

←-番組委託- 制作会社

このように、スポンサーと局との関係が切り離せないため、“視聴率至上主義”といわれるように、視聴率の取れる番組作りに徹する傾向が見られます。時に偏った内容になることも想像できるでしょう。

 

POINT  電波はみんなのもの  
 電波を利用する、テレビやラジオという放送事業。放送事業は、政府の免許を必要とする“事業”なのです。  
 
電波は有限ですから、誰もが利用できるというわけにはいきません。そこで、電波を 有効に活用するため、総務省(旧郵政省)が、電波の割り当てを行っています。有限な 電波は、国民の財産であり、その電波から送られる情報は国民の利益にならなければなりません。

このことは、NHKも民間放送も変わらないのです。不偏不党で国民の利益を第一にした番組作り。それを前提にしたうえでなら、視聴率を気にするのはかまわないと思います。実際に見てもらえない番組を作ってもそれは国民の不利益にほかならないからです。
 放送に求められるのは、報道・教育・娯楽。不偏不党の立場で報道・教育番組を制作し、娯楽番組でリフレッシュ効果をもたらす。こうして放送は国民の利益になるのです。
 しかし、情報の受け手の反応・影響はさまざまです。それは一人一人のライフスタイル・感性が違うからです。こうしたことから、次のような問題点が出てきます。

・スポンサーにとっては、視聴者の反応が異なれば、CM効果が予想されにくい。
・番組制作側にとっては、視聴率を確保するためには、視聴者の年齢層・職業・性別などを予想し、反応もある程度予測する必要がある。
・反応を予測するため、時間帯の設定・番組面である意図をもって番組を作る。

 そのために設定された意図は、番組の内容から見出せる。しかし、テレビ局側の意図することが視聴者の望むモノでなければ意味をなさないわけで、そのため、次のようなことがおこります。

・市場調査などにより、狙いとする意図を先に決めてしまう。
・スポンサーとのつながりが密接になり、スポンサーに沿った番組を制作する。

そのうちに、意図を決めるために、既成事実を作ってしまう。意図することに慣れてしまっているからです。つまり、ヤラセ。報道でもニュース性がないといって、作意をもって伝えたり、よりいい“ネタ”をスクープするために、事実を操作したこともありました。

 

 

B

 

 

報道の信頼性に欠ける行為

このような“何が真実か”が見えなくなってしまった、メディアの事件を問題となる視点別にいくつか取り上げてみました。

@ サブリミナル効果
ある映像に直接に知覚されない瞬間的映像を紛れ込ませ、視聴者の潜在意識に働きかける映像効果を指す。

<1989年12月24日 日本テレビ・TBS>

 日本テレビのアニメ「シティーハンター3」にオウム真理教団(当時)の麻原の顔や菩薩像を挿入し、

TBSが5月7日と5月14日のオウム事件の報道番組で麻原の顔や村井英夫氏殺害現場の瞬間映像を

インタビューシーンなどに挿入。NHK・他各局がサブリミナル効果として非難。

これに対し、TBSは6月15日放送で大川常行常務が謝罪と弁明。同日の夕方には、筑紫哲也ニュース

・キャスターが視聴者に謝罪。

「画面の緊張感と注目度を高め、テーマを際だたせる効果を狙った」と意図を認めている。  

A やらせ
<1992年秋 NHK>
 1992年秋に2回にわたって放送された、NHKスペシャルのドキュメンタリー番組 『奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン』の主要な部分で、以下のような“やらせ”の事実があったことが朝日新聞社の調べで分かり、23日の朝日新聞に掲載された。
 ・撮影中、3、4回雨が降ったのにも関わらず、「3ヶ月以上、一滴も降っていない」と十数回もナレーションを繰り返した。
スタッフによる高山病の演技。
石をわざと落とし、「落石」の場面と報じた。
制作経費の節約のため、自動車メーカーから協賛を受け、メーカーのステッカーを窓に貼り、宣伝まがいのシーンを挿入した。  

B情報隠蔽
<1989年 TBS「坂本弁護士テープ問題」>
 オウム真理教団を取材したプロデューサーが、教団と敵対関係にあった坂本弁護士も主座していると教団側に話す。そのため、10月26日の深夜、TBS社会情報局千代田分室に教団幹部三人が押しかけ、TBS側は、坂本弁護士インタビュービデオを見せた。
 *当時、坂本弁護士は、オウム教団に入信した子どもに会えない母親達から相談を受け、法廷での闘争を準備していた。
 インタビュー内容に危機感を募らせた教団が、坂本弁護士一家殺害を計画。つまり、TBSがテープを見せたことが、結果的に、殺害犯行の動機を形成した。
 また、テープの内容は教団批判であり、教団は放送中止を求め、TBSは要求通り、坂本弁護士インタビューの放送を中止した。
 さらに、坂本弁護士一家が行方不明になっても、TBS側は(失踪との関わりが取り沙汰されていた)教団にテープを見せていたという事実経過などの、警察への通報を怠った。TBSの社内調査がテープについて、”みせていない””見せた”と二転三転し、会社ぐるみでこの問題を隠蔽しようとしたのではないか、という新たな疑惑が浮上した。

C

 

DEFINITION  of  LITERACY

これらの、事実とメディアの矛盾点を見出す力が、“リテラシー”です。さて、そのリテラシーですが、歴史をひもとくと、各国でさまざまな定義がされてきました。ここでは、そのいくつかの定義をご紹介しましょう。

<カナダ>メディアリテラシー協会(AML)
 メディアリテラシーとは、メディアはどのように機能するか、メディアはどのような意味を作り出すか、メディア企業、メディア産業はどのように組織されているか、メディアは現実をどのように構成するか、などについて学び理解し,学ぶことの楽しさを促進する目的で行う教育である。メディアリテラシーの目標には、市民が自らメディアを創りだす力の獲得も含まれる。

<アメリカ>メディアリテラシー運動全米指導者会議での合意

 メディアリテラシーとは、市民がメディアにアクセスし、分析し、評価し、多様な形態でコミュニケーションを創りだす能力を指す。この能力には、文字を中心に考える従来のリテラシー概念を超えて、映像および電子形態のコミュニケーションを理解し、創りだす力も含まれる。

<イギリス>メディア学者、レン・マスターマン

 メディアリテラシーの最終的な目標は、メディアを単にクリティカルに分析するだけではなく、メディア社会を生きる人間の主体性を確立することにある。

<日本>メディアリテラシー・プロジェクト・イン・ジャパン

メディアリテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多用な形態でコミュニケーションを創りだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディアリテラシーという。

<日本>東京大学大学院学際情報学府

受け手としての情報リテラシー能力とは、いわば送り手の「意図」を見抜く能力と言い換えることもできよう。

<日本>東京芸術大学美術学部先端芸術表現科

literacy”とはliterateの名詞形。読み書きの能力。コンピューターを通じたインターネット上での読み書き能力をつけるための授業、ということである。

<日本>総務省郵政事業庁放送行政局放送政策課

メディアとの関わりが不可欠なメディア社会において、メディアときちんと向き合い、賢く利用していくために必要な能力であり、メディア社会に生きる我々現代人、特に心身ともに成長過程にある青少年について、その獲得が望まれるものです。メディアリテラシーの要素として次の3つの能力があげれる。

 @メディアを主体的に読み解く能力
 
Aメディアにアクセスし、活用する能力。
 
Bメディアを通じてコミュニケーションを創造する能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ)コミュニケーション能力。
これらを構成要素とする複合的な能力。

 

D

 

 現在では、カナダ、イギリス、アメリカ、それにオーストラリアなど、メディアリテラシーの先進諸国では、「メディア生産物(ソフト)にアクセスし、生産物を評価し、さまざまな形で生産物を創造する」というのがメディアリテラシー定義になっているようです。

HISTORY
 では、このような“メディアリテラシー”はどのようにして発生し,発展してきたのでしょうか。それを知るために、メディアリテラシーの歴史を調べてみました。7ページの 「メディアリテラシー略史」を見ていただきたいのですが、日本でテレビ放送が始まった1953年、すでに、アメリカではメディアリテラシーを推進する機関、NTCが発足していることが、注目されます。もっとも、その後、アメリカはメディアリテラシーの面では、カナダやイギリスに遅れをとってしまうのですが、なぜ、そうなったのかは、今後の課題にしたいと思います。
 それから、もう一つ注目すべき点は、1989年、カナダ・オンタリオ州教育省が「メディアリテラシー・リソースガイド」を発行したことです。これは、メディアリテラシー研究が世界的に発展する契機となりました。
 日本において“メディアリテラシー”の取り組みは、歴史的にも浅く、今後の取り組みが期待されています。そこで、現在と今後の取り組みを見てみましょう。

日本のメディアリテラシー教育
 まず、19987月に行われた、郵政省「青少年と放送に関する調査研究会」を受け、12月の研究会で、次ぎの7項目が提言されました。
  .青少年向けの放送番組の充実
  .メディアリテラシーの向上
  3.青少年と放送に関する調査などの推進
  4.第三者期間等の活用
  5.放送時間帯の配慮
  6.番組に対する情報提供の充実
  7.Vチップ(継続検討)

その結果、平成11年、郵政省・NHK及び(社)日本民間放送連盟の三者が「青少年と放送に関する専門家会合」を開催し、各々が7項目の取り組み方針を示した。
 この会合を受け、(社)日本民間放送連盟は、メディアリテラシー教育番組として、『てれびキッズ探偵団〜テレビとの上手なつきあい方〜』を制作。平成1111月〜12月にかけて全民放連盟加盟局、127社で順次放送しました。
 さらに、各社によってやり方は違いますが、放送局6系列で2000年より毎年、持ち回りでメディアリテラシーに取り組み、放送することになっています。
 2000年度は、日本テレビが担当し、19991218日、「テレビに於ける暴力的表現について」のフォーラムを開催し、2001211日に放送した。また、今年はTBSが担当し、2001430日に独自の番組を制作、放送しました。
 これらのメディアリテラシーの取り組みにも見られるように、メディアリテラシー研究が進む一方で、青少年への教育に対する取り組みも重要視されてきました。

 そこで、2002年から始まる小学校での“総合的な学習の時間”を見てみましょう。

   

 

 

 E

 

メディアリテラシー 略史  

国内 国外

1953
1966

   

1976


1977

 


1978

テレビ放送開始

 

 

 

 

FTC、「子どものテレビ゙の会」(Forum for Children’s Televison&Media)として活動開

[]   アメリカのおけるメディアリテラシー推進機関としてNTCNational Telemedia Council)発足  

[]   ヨーク大学(オンタリオ州トロント)でCASE(Canadian Association for Screen Education )設立。映像教育機関として活動を開始するが、資金不足で1970年代初頭に解散
[
]   ボストンで市民がメディア創造芸術として学習するメディア・アートセンター、BF/VF(BostonFilm/Video Foundation)設立  

[]   カリフォルニア大学大学院生エリザベス・ソーマン(Elizabeth Thorman)。メディアリテラシー誌 Media&Values発刊、1994年、同誌をもとにCML(Center for Media Literacy)設立


[]   トロントでAML(Association for Media Literacy)発足。メディアリテラシーを教える校教師を中心に組織、メディアリテラシー関連の教員組織としてはカナダでは初めてのもの  

1980

 

1985

 

 

1987


1988

1989


 

 

[]   メディアリテラシー推進を目的としたJesuit Communication Project発足。国際メディアリテラシーCLIPBBOARDの発行を開始

[]   ノッチンガム大学教授レン・マスターマン(Len Masterman)、Teaching the Media発表。メディアリテラシーの必要性について、メディアが偏在する社会(メディア社会)の現出映像教育の重要性、宣伝情報の増大による情報格差、メディアの権力化によるデモクラシーの危機など7つの理由をあげ説明

[]   オンタリオ州、メディアリテラシー教育を世界で初めて公教育のカリキュラムに採用

[]   国立映像委員会(National Film Board)、メディア分析の手引き「ビデオリソース・パッケージ」を開

[
]   1988年教育改革法に基づき、学校教育のカリキュラムにメディアリテラシーを導入
[
]   オンタリオ州教育省、メディアリテラシー・リソースガイドMedia Literacy Resource Guideを公表、 AMLが作成、内容は、テレビ、ラジオ、映画、音楽、印刷メディア、広告などを学校の授業で取り上 げる場合のガイドブック
[
]  テレビプロデューサー出身の教師キャサリン・タイナー(Kathleen Tyner)、全国的非営利団体 Strategies for Media Literacyを結成、小学校でのメディアリテラシー教育の推進を目指す

 

 

F

 

 

1990

 


1992


1994


1997

 


1998

 

1999

 

 

 

2000

   


FTC、「市民のテレビ゙の会」に名称変更

 


FTC
、オンタリオ州教育省発行のメディアリテラシー・リソースガイドを翻訳

立命館大学に日本初のメディアリテラシー講座開設

日本放送労働組合(NHK労組)、「メディアリテラシー」発行

 

文部省、学習指導要領を改正、メディアリテラシーを学校教育に導入する方針を決定
国立教育政策研究所、生涯学習におけるメディアリテラシーに関する総合的研究開始

 FTC、「市民のメディアフォーラム」に名称変更、特定非営利活動法人として活動開始
 
現場の教師を中心とした「メディアリテラシー教育研究会」発足
 民放連、メディアリテラシー教育用番組『てれびキッズ探偵団〜テレビとの上手なつきあいかた』を全国の民放テレビ局で放送


郵政省「放送分野における青少年とメディアリテラシーに関する調査研究会」報告書発表
 

 

[]  トゥールーズでイギリス映画協会(British Film Institute)と仏(Centre de Liaison de I’Enseignementet des Moyens d’Information)主催のメディアリテラシーに関する初の世界会議開催

[]  アスペンインスティチュート、メディアリテラシー運動全米指導者会議を開催

 


[
]  若者向けアート系商業放送CHUMテレビ、放送業界では世界で初めての「メディアリテラシー教育部」 設置



[
] 文部省、「連邦政府メディア暴力対策」声明の中で、メディア教育方針を示す
[
]  コロラド州で全米メディアリテラシー会議開催

[]  全州の学校でメディアリテラシー教育を義務化

 

 


[]  トロントでメディアリテラシー国際会議「サミット2000」開催  

 

注:日本では、20024月に小中学校にリテラシー教育として「総合的な学習の時間」を、また、20034月には高等学校に総合学習を「情報」の教科としてそれぞれ新設の予定。  

 

 

 

 

 

 

G

 

(六ページから続く)これは、これまでの画一的な学校の授業を変え、

/地域や学校、子供たちの実態に応じ、学校が創意工夫の特色ある教育活動が行える時間

/国際理解、情報、環境、健康福祉等従来の教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間

として新設されるものです。
 これにより、カリキュラム編成はどのように変わったのでしょうか。小学校を例に見てみましょう。


 
<現行のカリキュラム>
特別活動(学級活動など)
道徳
各教科
(国語・算数など)

 

<新しいカリキュラム>
総合的な学習の時間
特別活動(学級活動など)
道徳
 各教科
(国語・算数など)

 そして、この時間を設けることによる「ねらい」について、文部科学省はつぎのように説明しています。

 総合的な学習の時間においては、次のようなねらいをもって指導を行なうものとする。
(1)自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2)学び方やものの考え方を身につけ、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。

「文部省告示学習指導要領(平成11年3月29日)」

 このねらいこそが、”メディアリテラシーを身に付ける”ことにつながるのです。この教育を実践しようと、教育現場で取り組んでいる学校があります。しかし、リテラシーの捉え方は、それぞれの場面で違いが見られます。
 ・暴力シーンの子供への影響
 ・メディアと政治(宣伝)
 ・TVゲームと子どもの心理的・行動的変化
 ・メディアと産業、文化
 ・コンピュターによる情報リテラシー
などと異なるため、実践での取り組みや教育の指導方法なども異なってきます。

 そこで、教育現場における取り組み事例をいくつか紹介します。
比較するため、@テーマ、A実践内容、B目的・結果の3つのポイントに分けてみました。

 

H

 

≪福井県福井市立円山小学校≫  http://www.city.fukui.jp/gakkou/elm/enzan/

@ 「ニュースの価値と選択」
A 同校の稲刈り行事の際、テレビ局から取材を受けたが、実際には放送する局としない局があり、それは「なぜだろう」ということから5年生の学習をスタートさせた。テレビ局へ取材などを行った。
B ニュースは影響の大きさや緊急性により、選択されていて、放送されるニュースよりも捨てられるニュースが多いことを知った。

≪新潟県三川村立網木小学校≫  http://www.inet-shibata.or.jp/~tsunagi/
@私達のくらしと放送
A全校生徒
14人。5、6年生の社会科で学習。地理的な条件から放送局に行けず、コンピューターや電子メールを利用して、テレビ局と質疑応答を通して学習したいということを東京放送に打診した。                                  
T.ニュースができるまでのプロセス U.取材方法 V.番組の内容や順番の決め方 W.編集方法 X.アナウンサーはなぜ正面を向いてすらすら話せるのか等を質問。 
B東京放送側はホームページを作成し、回答。また、8ミリビデオを使用し、ニュース番組を実際に制作し、東京放送スタッフからのフィードバックをもらった。東京放送のホームページを利用した研究授業は公開され、市や県の教育委員会からも高い評価をうけている。

≪神奈川県川崎市立桜本小学校≫
@音楽の持つ効果を体験する

A池田康子教諭が4年生から6年生の音楽の授業で行っている、メディアリテラシー教育。音楽が変わることによって、同じ映像でも違った見え方がする体験を目的とする。これを音楽の持つ効果として、NHKのディレクターの協力を得て実施。

Bミニドラマ制作を体験させる中で、ドラマのストーリーやテーマにあったセリフや音楽を児童に考えさせている。

≪北海道旭川市立嵐山中学校≫
@CM分析

A石川晋教諭が、3年生の学活や選択国語(ディベート)の中で行った授業。ワークシートを利用して、昼のCMと夜のCMとを視聴しながら分析させる。

BCMの値段や番組制作者側の視聴者の絞り方などにも意識を向けさせている。

また、事実を伝えるニュース番組でさえも、視聴者層によって、トップニュースの内容や順番等に、作り手の意図が入っていることを理解させる授業なども実施している。

≪長野県立松本美須々丘高校 放送部≫
@高度情報化社会とメディアリテラシー(19998月 公開授業)

A松本サリン事件直後、県内全ての放送局の記者へのインタビューや校内アンケートを通して、取材を実施。また、授業では撮影位置で視聴者の受ける印象の違いを説明し、メディアの影響力と報道被害への対応の困難さを指摘。メディアリテラシーの重要性を強調。さらに、事件を題材にビデオを制作。

Bテレビの取材方法や表現方法などを検証し、"メディアが伝える情報とは何か?"を考えさせる内容。

 

I

 

私達の視点

 ではここで、メディアリテラシーについて、私達の考えを述べさせていただきます。

飯塚英興

 メディアは主に商業主義を中心としていて、メディアは必ず利益を目的としている。公益を目的としている公共メディアですら公益以外の何かしらの利益を求めている。それは単純に経済的利益の場合もあるが、時にはその他の利益(政治的圧力を避けるという利益など)の場合もある。そういった目には見えないメディア構造の裏側を見ぬく為にメディアリテラシー教育は求められている。そしてようやく日本でもメディアリテラシー教育を導入する動きを政府が始めた。それが小学校や中学校の「総合学習の時間」と高校での「情報」というカリキュラムの導入である。しかしながら、メディアリテラシーという能力はカリキュラムに導入されたからといって、すぐに身につくものではない。メディアリテラシーの獲得、それはメディアに触れている限り、終わることのない学習であり、学習する者の自主性のみによってつちかわれていくものであると思う。

松窪奈央

 メディアリテラシーとは、メディアについて興味・関心を持ち、学ぶことで身につくものだと思った。そして、今回、メディアリテラシーについて調べ、身にしみて思ったのは、メディアが発達していくスピードに、メディア教育がついていってないということでした。なかなか資料集めに苦戦し、どのように調べたらいいのか悩みました。けれど、日本テレビさんの協力もあって、私達の手でこのような形にできたことがとてもうれしく思います。この資料が、メディアリテラシーを考えるきっかけになったらいいなぁと思います。

水堀聡美

 私は今回、メディアリテラシーを調べてみて、その歴史や現状を知り、今後の更なる必要性を感じました。
 しかし、メディアや教育機関がいくら努力しても、いくらその必要性を訴えかけても、私達一人一人にその認識が生まれなければメディアリテラシーへの第一歩は踏み出せません。メディア報道が事実を彼らなりの解釈で再構成していることを理解し、メディアと接するときはそれをうのみにするのではなく、自分なりの受け取り方、考えをもつことがその第一歩になるのではないでしょうか。
 私は、今回の研究を通して、ようやく第一歩を踏み出せそうな気がします。

杉崎由佳

 メディアリテラシーの向上は、私達の生活の向上にも貢献すると思います。そのためにも幼い頃からのメディア教育の実践はとても大切です。
 しかし、日本では、この概念がまだ一般には知られてはいないというのが現状です。マス・メディアについて学ぶ皆さんに、私達の今日の発表が何らかの興味や関心につながってくれる事を願っています。
 私自身、メディアリテラシーについては無知でしたが、今後、これまでの勉強を生かしつつ「日本におけるリテラシー教育」について、深く研究していきたいと思います。

 

 

 

 

J

 

高橋翠子

 現在、全国の小・中・高の学校で「メディアリテラシー」の授業が行われるようになり、また数多くマスコミ界の著名人によるシンポジウムが各地で開催されているのをみると、メディアリテラシーについて考える時代となっているのは明白だ。だが、私が思うのはメディアについて、間違った考えを子どもたちに持ってほしくないということだ。「メディアはうそをつく」「メディアが送り出す情報は作られたものだ」とただ単純に理解してしまったり、いつもテレビで言っていることはうそだと疑って、“子どもの心”をなくしてしまったら悲しすぎる。
 大人が子どもにメディア教育するとき、本当に慎重に教えるべきであろう。
 メディアリテラシーとは、メディアを疑ったり、「だまされているかもしれない」と思うのではなく、まずメディアからの情報を受け入れ、その後で個人個人でいらないものは切り捨ててもいい。自分の意見を持つべきだ。

後藤玲奈

メディアから送られてくる情報から、自分を考え、自分の身の周りを考える。そして、地域の活動・取り組みに目を向け、それを支える県・国の制度はどうなっているのかを考える。そして、自分たちが望む生活ができるような制度・政策を行う国会議員を選ぶ。その選出した議員で、国会を形成する。
 要約すると、メディアから送られてきた情報を反映させて、国民が国会を運営していく。つまり、民主主義そのものを担っているものだと思うのです。ついでに言うと、それが故に、電波は国民のものなのではないでしょうか。
 
“電波は国民のモノである”という前提に立って、メディア側が情報を送るという行為は何なのかを考えることが“リテラシー”だと思います。 
 私は、リテラシーは定義づけるものより、私達がメディアと関わっていくたびに常に、“考えていく”ことだと思うのです。


 最後に、「なぜ、日本ではカナダ、イギリス、アメリカなど欧米諸国、あるいは、オーストラリアに比べ、メディアリテラシーの始まりが遅かったのか?」という問題があります。そこで、この問題について、文献班一同でその背景について議論しました。以下にその要旨を列記します。


@アメリカ文化依存説

 アメリカは、かなり早い時期に一部の知識人の間で、メディアリテラシーの運動が提唱された。しかし、国民全体に運動が浸透したのは、カナダよりも遅かった。戦後のGHQ支配以来、アメリカ文化の強い影響を受けてきた日本では、アメリカと同様に、国民全体にメディアリテラシーが浸透するのが遅れたのではないか。

A島国説
 カナダはアメリカと国境を接しており、両国の間で文化の交流が盛んに行われてきた。カナダには、アメリカのテレビ番組が大量に入り込んできたため、文化・アイデンティティ・メディア産業保護の面から、メディアリテラシーが始まったのではないか。イギリスは陸続きでないが、
ヨーロッパ大陸との文化交流が頻繁であった。日本は島国なので、カナダと同じような自国の文化を守る上での、メディアリテラシーの必要性を感じる状況になかったのではないか。

 

K

B日本の教育制度説
 日本の教育は詰め込み式である。それに加えて、受験制度の影響もあって、受験勉強以外のことは考えもしないし,教えもしない。それに比べ、アメリカなどでは、自由に自分の意見を言える授業環境がある。
 ようやく最近、「総合的な学習の時間」などが取り上げられ、メディアリテラシーを考える環境が出来た。

Cテレビ局偉大説
 日本では、メディア、特にテレビが大きな存在で、しかも、そのテレビに対する私達の信頼があまりにも大きかったからではないか。

D単一民族説
 日本は島国である。同じ文化的背景、同じ価値観をを持っていると信じている日本人は、日本のメディアが作り出す生産物に対して、特に疑問や不安を感じてこなかった。

E日本人“シャイ”説
 日本人は、欧米人のように明確な形で自己表現はしてこなかった。それは言葉に出さなくても伝わるものがあると信じてきたからではないか。欧米と日本ではコミュニケーション形態が違うのである。日本型のコミュニケーションでは、受け手がメディアに対して積極的なコミュニケーションをするという発想が生れなかったのではないか。

F言語問題説
 日本語は、言葉尻をとらえやすい言葉・表現が多い。ハッキリ言わない、言葉に表さない、“わび・さび”のようなものがあって、いろんな意味を含む言葉が多い。それゆえ、メディアに関する問題があったとしても、言葉のアヤで言い訳ができてきた。その言い訳に納得し,安心し、今まできたのではないか。

 以上は、あくまで、メディアリテラシーの勉強を始めたばかりの、私達の大胆な推論です。今後、この推論をできる限り検証していきたいと思っています。

 

 このように、日本におけるメディアリテラシー研究、メディアリテラシー教育は、ようやくスタート地点に立つ準備ができた段階といえます。

 メディア教育においては、生徒が実践で学び、感じたことにもっと耳を傾け、教育・実践・番組制作に採り入れるべきではないでしょうか。そして、教材・教育の意義・内容を検討していく必要があります。子どもならではの発想、実際に育成過程にある生徒の意見を取り入れることも必要だと思います。

 そして、メディアリテラシーについては、研究者が、マス・メディアや教育機関とのかけはし、アドバイザーとして研究することはもちろんですが、何よりメディアに接している私達一人一人が、“メディアについて考える”ことが大切なのではないでしょうか。

 私達も、メディアリテラシーの取り組みとして、一人一人、“メディア”や“リテラシーとは何か”などについて考えたいと思います。

以上

 

 

 

L

 

参考文献一覧

 

図書

Silverblatt,Art(1995).Media Literacy.Praeger

・木村哲人(1996)『テレビは真実を報道したか―ヤラセの映像論―』三一書房

・川邊克朗(1997)『「報道のTBS」はなぜ崩壊したか―組織の自滅と再生―』光文社

・鈴木みどり編(1997)『メディアリテラシーを学ぶ人のために』世界思想社

・渡辺武達(1997)『メディアリテラシー情報を正しく読み解くための知恵―』ダイヤモンド社

・日本放送労働組合(1997)『メディアリテラシー:メディアと市民をつなぐ回路NIPPORO文庫1

・田原総一郎編(1997)『田原総一郎の闘うテレビ論』文藝春秋社 

Journal of Communication(1998)

・藤川大祐編(2000)『「授業づくりネットワーク」200010月増刊メディアリテラシー教育の実践事例集―情報学習の新展開―』学事出版株式会社

・郵政省編(2000)『平成12年度版通信白書』株式会社ぎょうせい

・総務庁青年対策本部編(2000)『青少年白書(平成11年度版)』大蔵省印刷局

・社団法人日本民間放送連盟(2000)『メディアリテラシー教育番組てれびキッズ探偵団〜テレビとの上手な付き合い方〜放送と反響』

・NHK放送文化研究所編(2001)『NHKデータブック 世界の放送2001』日本放送出版協会

Potter,W(1998).Media Literacy.Sage Publications

・小中陽太郎編(2001)『メディアリテラシーの現場から』風媒社

・全生研編集部編(2001)『生活指導561号』明治図書出版株式会社

NHK放送文化研究所(2001)『2000年国民時間調査』

・『福井大学教育地域科学部紀用 第W部 教育科学56号』

   

 

M

WWWサイト

郵政省(現総務省)
・放送分野における青少年とメディアリテラシーに関する調査研究会
・青少年と放送に関する専門家会合
・青少年と放送に関する調査研究会
http://www.yusei.go.jp/policyreports/y_index.html

鈴木みどり 

・「メディアリテラシーの担い手たち」

http://www.mlpj.org/archive/h-report1.html

・「メディアが築くパートナーシップ―カナダのテレビ界でいま、起こっていること―」

http://www.mlpj.org/archive/h-report2.html

Media Literacy Project in Japan 『メディア・リテラシーの世界』

http://www.ritumei.ac.jp/kic/so/seminar/ML/

Ontario Media Literacy Homepage

http://www.angelfire.com/ms/MediaLiteracy/index.html

Global EduNET Topics

http://www.alc.co.jp/edunet/edutop195.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

N