映像作品 | |
タイトル | 映像ドキュメンタリー |
テーマ | 他者理解 |
内容 | 一人のストリートミュージシャン・元揮君を追っていくドキュメンタリー |
ねらい | IT革命、ヒトゲノム研究、全てがデジタルになっていく時代。一方では、17歳の凶悪な事件、いじめによる自殺が連日のように報道されていた。彼らに対し、「YES」か「NO」の議論を交わすテレビ。私は「YES」だが、「NO」でもある自分をまた感じていた。 同じ頃、私の周囲でも、「YES」か「NO]の二つだけで全てを済まそうとする人が目に付いた。中度半端を支持するわけではない。自らと同じところ、そして、自らと違う所を認めてはじめて、相手を理解できる。それが「つきあい」の始まりでもある。 全ての面で同じ人がいないように、全てが違う人もいない。「他人と何かの共通項を見つけたい」これが現代のキーワードに思えた。だが、一歩間違えば、排斥になりかねない。 「他者理解」。この厄介極まりないものを番組にしたら・・・。 そして、フォーラムという機会を得て、ぜひにもという思いが強くなった。これが、今回の番組の企画意図だった。 目標へ一歩踏み出している元輝君に会い、撮影が進むにつれ、より良く伝えるためにはどうすればいいのか。幾度となく議論を交わし、構成も画も徐々に変化していった。各々の「感じているもの」の共通項をどう表現するか模索していった。 結果、今回の番組にたどり着けた。企画意図の中で述べたように、「他者理解」は、やはり厄介極まりないものであった。 |