4.1期 映像班 | ||
主要メンバー紹介 | |||||||
第1部 新原 寛人 坂 紗也佳 佐長 由紀子 高木 莉瑛 本間 豪介 宮本 忠 |
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第2部 広安 賢一 伊澤 裕亮 戸林 慎也 早川 龍一 吉田 渉 |
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5月20日 ゼミの時間 |
企画提出予定日。映像班文献班関係なく映像制作にとりあげたいテーマを出してもらうことに決めた。提出された企画は以下である。詳細は省略した。 | ||||||
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・世界の人とコンニチワ ・インド料理の店で働くインド人にナマステ ・日本大学の留学生にアニョハセヨ ・LD(Learning Didability 学習障害)について考える ・向後先生に密着 ・川越のお祭り ・月下美人(咲く時間が短い花) |
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・いろんな人の頑張っている姿を1コマ(5秒くらい)ずつ撮る。 ・環境問題について。 ・私達が普段何気なく使っていたり、当たり前に使っているものやいつも目にしているものはいったいどこで作られて、 どういう経由で私達の元へとやってくるのだろうか。 |
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・CCS(Club of Children and Student)外国人の子供への日本語の学習や高校進学のサポートを行う。国際交流につ いて日本の実情について ・ちよだボランティアセンター。ボランティアについて |
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・映画を撮る人を撮る | |||||||
・老人ホーム ・ゴミ焼却場 ・野球部の夏の大会 ・昔からある商店街の衰退 ・鉄道で働く人 |
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・スポーツセンター(千葉市稲毛区天台)で障害を持つ方の文化交流、娯楽との接触 ・他にも東京都北区にあるスポーツセンターで障害者との交流 |
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・「上九一色村の今」 メディアによる過熱報道、上九=オウム=悪。上九一色村のイメージを払拭させたい |
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・潰れゆく名画座の現状とこれから。シネコンの登場、ミニシアター、単館系の現状と未来 ・ショートフィルム「影」 青春ハードボイルドアクション活劇 若さゆえの・・・ |
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・NOMOベースボールクラブ(大阪府) 一度あきらめかけた選手達がもう一度プロ野球を目指しクラブチームで練習に打ち込む姿を通し、夢をもつことの素 晴しさを伝える |
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・喫煙者と非喫煙者 喫煙に対する規制(千代田区など)に対する人の考えをインタビューする ・ボランティアについて 若い人たちが参加する理由、考え、参加して何を得たか |
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・AMとFM 放送方法の違い お互いの考え 聞き手の考え | |||||||
・学生の今 増える同世代のフリーター 専門学校生 大学生 なにを考えているのか | |||||||
5月31日 サブゼミ |
出された企画書をもとにそれぞれプレゼンテーションを行った。その結果、地理的な問題、実現不可能な問題、研究発表としてふさわしいかというところで決まっていった。よい企画はたくさんあったのだが、自分達にできそうなことをえらんだ。その結果映画を撮る人を撮るに決定。この日からサブゼミではこの企画をもとにスケジュールを立てていくこととなった。 | ||||||
7月2日 サブゼミ |
企画は決まれどなかなか撮影のオファーが通らない。焦りながらも会議では話し合いは続いた。この時点では中村案と新原案があった。中村案がぽしゃった場合に新原案を採用するということになった。 | ||||||
第一候補 中村案・・・知り合いの橋本さんの紹介を待つ。 第二候補 新原案・・・知り合いのつて、セミナーの知り合い |
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またこの日、編集の時に使うソフトがプレミアだということを知ることになる。 | |||||||
7月16日 サブゼミ |
夏合宿の日程が決まり、係りの人から連絡をうける。 | ||||||
酒類はN氏が調達することに、これが後の大惨事と経済学部との友好交流の根源となろうとは誰が知っていただろうか。花火をやろう!ということで花火調達は木更津消防署長Hが調達ということに決まった。しかし、花火はジャーナルリーグでの景品で獲得。合宿の日まで合宿係りSが保管。ちょっとした都合で遅れて合宿に参加することになったSはその花火を持ってくるために更にタイムロスをしたようだ。ご苦労さん。 | |||||||
ジャーナルリーグの連絡がされた。そこでカメラの使い方の練習を兼ねてジャーナルリーグを撮影することに決まった。 | |||||||
7月18日 Jリーグ |
邪なるリーグが開催された。朝早くから集合して大変だったようだが、交流も深められ全体的に楽しかった。 | ||||||
撮影慣行。ほとんど座ったままベンチから撮っていたので眠くなる内容になっている。撮影は主に女性陣。皆重い、重いとこぼしていた。3期生が買った三脚を持って行ったつもりだったが、それは3期生が買ったものではなく、壊れていて使い物にならなかった。試合の結果などはゼミ活動記録参照。 | |||||||
全日程終了。皆疲れて新宿の繁華街へ行くため駅へ向かった。そのときカメラは誰が持っているのか気になって聞いてみた。しかし誰も持っていなかった。急いで河川敷の球場へ。後方にいた何人かが3年B組金八先生のオープニングさながらの走りで探しに行った。いくら探してもカメラは無い。行ったところを思い出しながらたどっていった。確かここを走ったといってダイヤモンドをぐるぐると走り回って探していた。そんな大馬鹿野郎はいるはずもなく、まだ残っていたほかのゼミの人に聞いたところ、忘れ物だと思い拾ってくれていた。3B一同はホッと肩を撫で下ろした。すでに日はとっぷりと西に傾きかけていた。待っていてくれたみんなの所に戻ると、その中の一人が目に涙を浮かべ、鼻を真っ赤にしながら、肩まで伸ばした髪をかき上げて言った。「・・・ お゛め゛で と ぅ 」 きりが無いのでもう終わり! 明らかになっているだけでも、カメラ忘れ事件は向後ゼミ史上2度目であった。このときから気をつけるようになり、以後カメラを置き忘れることはなかった。史上初の事件にいたっては伝説となりつつある。 |
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7月29日 夏合宿 |
役割決めと具体的な映像内容の流れを決める。このときまだ撮影は始まっていない。 | ||||||
プロデューサー: 新原 、 ディレクター: 宮本 (中村) (戸林) 、 カメラ: 高木 本間 インタビュー: 佐長 、 編集: 広安 吉田 伊澤(ナレーション) 、 AD: 坂 高木 |
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形式上、上記のように決まったが実際に作業を進めていく中、それぞれが様々な作業に携わっていった。 | |||||||
N氏ヤケ酒事件。飲む人、ほとんど飲まない人、ちょっと飲んだだけで酔っ払う人、もともと酔っているような人など、N氏にはまだ把握できていなくて、買い込んだ酒の量が多すぎた。それに責任を感じてか、いささか落ち込み気味でN氏はチュウハイを胃袋にひたすら流し込んだ。一方、同じ研修所に来ていた経済学部のとあるゼミは酒がなく肝臓をもてあましていた。そこで余っているのであげますよというところからちょっとした交流が生まれた。経済学用語で言うところの需要と供給の均衡が取れたとでも言えばよいのだろうか。何はともあれ結果オーライなのである。 | |||||||
8月19日 サブゼミ |
20日に撮影する監督諸星君に会い、インタビューをすることに決まる。 |
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この日、公園でカメラの使い方をみんなで学ぶことになる。→参照 しかし、鳩と遊んでいる人もいた。 遊具で遊んでいる人もいた。虫が飛んできて取り乱す人もいた。 | |||||||
8月20日 撮影 |
所沢航空公園の近くで野外インタビューを撮影。撮影に行ったのは中村、宮本、佐長の三人。 |
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蝉の鳴き声がうるさく少しでも静かなところを選んで撮影したのだが、編集の時やはり蝉の声はかなり入っていった。誰かが、Sが鳴いていると風刺したのには一同大爆笑。気にならなくなるまで加工するのに一苦労だった。 | |||||||
9月6日 撮影 |
相手方の打ち合わせ風景を撮影することになった。場所は所沢のとあるファミレス。 ロケ班メンバーは中村、宮本、本間。 |
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飛び込みで店長に頼んで少しだけ撮影の許可をいただくことができた。カメラはデジタル、光学ズームを備えた標準的なレンズ。やはり近すぎる場合には向いていなかったようだ。しかし、会話をできただけでもよかった。まだお互いをよく知らなかった。映像完成後の反省から、もっと会話をして相手のことを知らなければならないと先生に言われた。このときは気づかなかったが、もっと突っ込んだ会話をするべきだったというようなことを先生はおっしゃっているのだと思った。反省点が残る形となった。 | |||||||
9月7日 打ち合わせ |
昨日と同じ場所で打ち合わせに参加。ロケ班メンバーも同じ。 |
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役者の手配でたくさんの人に携帯電話で連絡を取っていた。たまたま店内にいた顔見知りにも声をかけるなど結構大変そうだった。言葉の綾で大根役者でよければエキストラ出しますよという方向に。この言葉がのちに現実のものとなろうとは・・・。このとき夏休みということでか髭を伸ばしていたM氏が上司役に諸星監督自ら大抜擢!その場で即オーディション。台本を渡され台詞をいくつか読んでみた。そして、探して見つからなかった時のための保留ということに落ち着く。このときあの偉大なるいぶし銀上司が見つかるとは監督すら予想していなかったのだから。 | |||||||
9月10日 サブゼミ |
一回目のインタビュー撮影から日が空いたが、相手方の予定が決まり本格的に撮影のめどがたつ。 |
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場所 | 日大芸術学部所沢校舎、その近くの東所沢近辺、アパートなど | ||||||
撮影予定日 | 9/15〜18 17日はこちらの予定が立たなかったのか自主的に中止となりサブゼミとなっている。 | ||||||
この日もう一度撮影のために企画意図を確かめている。 1、映像制作をすることでメシアリテラシーを考える 2、完成された映像を・・・(忘れました) 3、制作者を追うことによって映像とは何かを考える |
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ゼミ長より | 「時間厳守でいこう!!」 これはゼミだけではなく私生活にも通じることだと感じた。特に私にとって。 | ||||||
9月15日 撮影 |
撮影場所は東所沢。 ロケ班メンバーは新原、坂、宮本、本間。 |
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出演者のアパートでの室内撮影。駅で待ち合わせ。暑い日差しの中コンビにで時間をつぶしていた。涼しい(^^。相手方は諸星君以外は初対面。なんとなくそれっぽい人が待っているが・・・。諸星君が来て、役者の方々ということが分かり、まさに役者が揃いロケ地へ。 | |||||||
相手方の撮影は夜まで続いたが、我々としてはいい画も撮れたし、迷惑にもなるだろうから夕方で切り上げることになった。日が昇ったら始まり、日が暮れたら帰る。これぞ人間の原点だ、社会人になってもこうありたいと思いながら書いています。 この日空は青く、入道雲がモクモク浮かんでいた。鰯雲なんかもあって、楽しかった。私の手帳には「あのクリエイティブな空気はおいしい!」と書いてある。個人的にこの日が一番思い出に残っている。 |
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近くのレストランでテープのタイムチェック、編集の時のためにどこに何が映っているか。これは相手方がやっていたことを盗んだ。 | |||||||
9月16日 撮影 |
撮影場所は日大芸術学部所沢校舎内とその周辺。 ロケ班メンバーは新原、中村、坂、高木。 |
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この日、校舎内で撮影していると、職員が来て「貴様ら、一体何をやっているんだ!やめるんだ、馬鹿野郎!」と一喝。撮影は一時中断。芸術学部とはいえ大学側は撮影などにはあまり協力的ではないのだそうだ。そのときの状況から我々も撮影を自粛してしまった。帰ってきた撮影部隊の面々からは「撮りたかったなぁ、惜しいことをした」という声を漏らしていた。 | |||||||
はみ出し小話 | 相手方の方に出演していた女優をN氏が一押ししていた。ナース役の人である。こんな話で盛り上がれたこの頃は平和だったなとつくづく思う。 | ||||||
校舎内での撮影をやめ、近くの広場で撮影を続けた。役者が足りないらしく、監督自ら役者を演じていた。それでも足りないらしく、向後ゼミから役者の卵が4人誕生した。作品に使われたかどうかは疑わしいが、鬼気迫る迫真の演技を披露してくれたに違いない。 | |||||||
近所の子供達がうるさく相手方の撮影に支障をきたしていた。将来間違いなく子煩悩な父親になると予想されるかどうかは別として、新原ゼミ長はそのヤング達を叱り付けることなく駆逐する策に出た。その方法はというと、ハーメルンの笛吹きのごとく、VX-2000で子供達を撮影しながらロケ地を離れていくというものだった。そのかいあってか無事撮影はうまくいったようだ。そのときわずかながら撮影されていたヤングに敬意を表し、我々が制作した作品のエンドロールにフィーチャーされている。 | |||||||
9月17日 サブゼミ |
編集時の機材の確認DVケーブル、ナレーション用のマイク、プレミアの使い方を確認、必要ならば解説書の購入を考えるなど。4期生の合宿などの活動日記を宮本リーダーがまとめ、ホームページを作るということに決まった。しかし、なぜか、私がやっている・・・。おい!どういうこった! | ||||||
9月18日 撮影 |
撮影場所は日芸所沢校舎近くの施設を借りての撮影。 ロケ班メンバーは新原、中村、宮本、坂。吉田も参加する予定だったが、急遽来れなくなったらしい。この日のことはあまり聞いていないのか記憶にない。 |
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9月25日 撮影 |
午前中、場所は日芸所沢校舎近くの施設。 前半ロケ班メンバーは、新原、宮本、本間、高木、戸林。 |
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途中おばちゃんたちが椅子をもって階段を上るという騒音ハプニングなどもあり、撮影もなかなかスムーズには行かない。しかしたくさんの人に協力してもらい何とか前半は終了。 | |||||||
Nの失態 | 撮影が終わり女優さんが衣装を着替えるということで部屋の鍵をかけて着替えていた。その部屋は我々が荷物を置いていた部屋だった。そのことを知らずN氏はドアノブを「ガチャガチャ」、「あれ、開かねぇ!」周りにいた仲間が「今、着替え中だよ」と忠告し、笑いが起こる。そのときのN氏は恥ずかしいとも気まずいともつかない照れ笑いを浮かべていた。証拠写真が残っている。 | ||||||
夕方、場所を変えて所沢の公民館? ロケ班メンバーは新原、宮本、本間、に中村が合流。 ある一室を借りていたようで、そこへ行くと職員のような方が椅子に腰掛けていたので出ていかれるのを待っていた。しかし、一向に我々から離れていかない。そのとき、である。「えーい、控えぃ、控えーぃ、頭が高い!こちらにおわせられる方をどなたと心得る、上司役の方にあらせられるぞぉー!」とBGMと共に聞こえてきた気がするのは私だけだろうか。 台詞を自動小銃の様にまくし立てると思ったら、痒いところに手が届くような独特な間を入れ、我流に崩したイントネーションが唯一無二の世界を創り上げている。いや〜、渋い演技を見せていただいた。 |
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クランクアップ!主演の青柳さんがはしゃいでいたのは印象に残っている。それに比べ監督はすでに編集へと頭を切り替えていたようだ。緊迫した中でも諸星君の笑顔は場の空気を崩さないような印象を受けた。帰るときカメラは誰が持って帰るかで、じゃんけんをした。私は負け、カメラを持って帰ることに・・・。 | |||||||
10月くらいから 研究室で編集 |
もうスケジュールも何もなく、とにかくやれるところまでやっていった。3期生2部の大阿久さんにプレミアの基本を伝授していただいた。ゼミ長というタフガイが引っ張っていってくれたことは大きかったと詠唱できる。スケジュールの関係で撮影にはあまり参加できなかった2部の人も研究室に来ては一緒に作業を進めていくことができた。編集のアイデア、音楽の選曲、ナレーションや音響関係、出力の時などでは2部の人たちに頼ったところが大きい。 | ||||||
11月3日 発表 |
14時から1部の発表、続けて2部の発表だった。1部2部の連続発表、コンサートと時間が重なったなどで2部の方は聴講者が少なかった。ということもあってか2部の発表の時に3期の大原さんが撮影してくれた写真がこちらである。→集合写真 | ||||||
個人的な意見ですが、今思い出してみると映像制作は本当に楽しかった。その一方で、仲間に頼ってばかりいた自分の無力さを痛感しました。もう二度とこんな体験はできないと思うと寂しい気がしますが、協力してくれた先輩方や諸星君たち、こういう場を与えてくれた向後先生、エンドロールにクレジットされているマルチャンなどに、映像班一同より、感謝の意を表したいと思います。皆さん本当にどうもありがとうございました。 | |||||||
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