メディアリテラシー。この言葉をきいて皆さんは何を連想し、イメージし、そして、何を考えますか。メディアといえば、例として、テレビが頭に思い浮かぶ。リテラシーは辞書を引くと読み書き能力と載っている。そこで、一応、テレビを読み書きする能力かな、と想像する。でも、分かったようで分からない。

 もちろん、私達なりに定義できないことはありません。独創的な解釈も出てくるでしょう。しかし、“群盲象を評す”に終わってしまう危険性は否めません。では、どうするのか。

そこで、私達はメディアリテラシーを理解する一つの手がかりとして、カナダの文献に注目しました。1989年、カナダ・オンタリオ州教育省が発行した“メディアリテラシー・リソースガイド”に次のような記述があります。

 “メディアリテラシーとは、学生が正確な情報と批評眼をもってメディアの特性を理解し、メディアが駆使するテクニックとテクニックがもたらす影響力を理解できるよう、手助けすることである。具体的にいえば、メディアがどういう働きをし、どのような意味を生産しているのか、メディアがどう組織され、そして、メディアが現実をどう構築しようとしているのか。そうした疑問を学生が解く場合のヒントを与える、それが、メディアリテラシー教育の重要な要素の一つである。また、メディアリテラシーとは、学生にメディア生産物(コンテンツ)を創造する能力を身につけさせる、ことでもある。”

 なるほど、と私達は思いました。また、欧米の学界では、メディアリテラシーとは、メディア生産物にアクセスし、生産物を評価し、さらに、さまざまな形でメディア生産物を創造する、というのが通説になっていることも知りました。そうすると、メディアリテラシーとは、昔からある印刷メディア、例えば本の読み書き能力を、テレビなどの電子メディアに拡大したものといえます。テレビを読み書きする能力とは、書籍を読む場合の識字能力と関係があるのではないか、と思うようになりました。しかし、こういったことは文献で知識を得ただけで、必ずしも、メディアリテラシーを理解したことにはならないでしょう。

 そのような問題意識に立って、メディアリテラシーを理解する一助として、私達は映像メディアを取り上げ、制作者の立場になって、映像の基本といわれるドキュメンタリー作品を制作することになりました。

 先に引用したメディアリテラシー・リソースガイドは、メディアリテラシーについて8つの定義を行っています。その一つに、“メディア生産物は単に現実を映し出したものではない。そうではなく、メディア生産物には生産過程に介在するメディア側の多くの決定要因が巧妙に組み込まれている。メディア生産物はそのようにして構築されたモノなのである“という表現があります。

 メディアの生産物を創り出す過程には、様々な人々が介在しています。私達が行った映像制作過程は大きく分類すると、前取材・企画・構成・本取材・撮影・編集・音響・ナレーションに分かれます。これらの制作過程は制作者側の意図を反映するのであり、一つ一つの制作過程が映像の流れを引き出すのです。

 以上のような制作過程を踏んで、私達は、一人の女性を取り上げて、ドキュメンタリー映像を作りました。今回の映像作品の制作過程を通じ、私達は制作者としての立場から、この「構築されたモノ」という意味を熟考するきっかけを掴んだような気がしました。おそらく、こういったことが、メディアリテラシーという遠い道のりの第一歩になるでしょう。私達は以上のように考えています。

(文責:2.1期生映像班 河井 利文)

 


 

<リンク>
映像制作
3.1期生映像作品 3.1期生文献作品 3.2期生文献作品
2.1期生映像作品 2.1期生文献作品
1期生映像作品